海外仕入れ・買い付け転売ヤーの楽しい毎日☆ -17ページ目

海外仕入れ・買い付け転売ヤーの楽しい毎日☆

中国、アメリカ、タイ、フィリピン、インドなど世界中で仕入れ★海外にも目を向けましょう!グローバル視点の文化・教育ネタも!

今日は、とうとうイラレも終了して、最後のプレゼン終わり、
明日からコードの世界に入っていきます☆

楽しみです★

最後に飲食店メニュー作成と言うことで、
和食の京都おばんざいをテーマに作ってみました。

しかし、生徒もみんな成長しましたね。
この2ヶ月で驚くべき、腕前になってきています。

今日は、生徒さんにも評判がよく、
先生にもこのままお店に納品できると褒められたので
嬉しかったです。

最初の頃、恥ずかしい作品を平気でUPしていた自分が怖いですw
この作品も数カ月後には、しょぼいと思うんでしょうけど。

メニューと写真があっていないですが、
デザインの勉強なので、そのツッコミはなしでお願いします★








成長するって楽しいですね!
どんどんスキルUPしていきたいと思っています★


本日も、日曜日の新宿中央公園の夕方の炊き出しの
お手伝いに行って来ました。

今日は、たくさんの混ぜご飯をどんぶりによそいまくりました。
汗ダラダラです^^;
すごい数のご飯を積み上げて、出来上がったら、
またきちんと整列されたホームレスの人達に
手渡していきます。

みんな待ち遠しそうにご飯を楽しみにしている感じでした!

この間のようにみなさん礼儀正しいです。
今日は、中に、「この暑い中ありがとうね!」と笑顔で
声をかけてくれたホームレスのおじさんもいて、
ちょっとジーンと来てしまいました。

本当に普通にいいおじさんもいるので、
何とかしたい想いがまた強まりました。

そして、更にいいおじさん・・・
私が暑い~~とくたばっていると、
横にうちわをあおいで涼しそうにしているおじさんがいました。
てっきりボランティアの人だと思って、
いいなぁ~と冗談で話しかけたら、

これ使いなよ、まだあと2つあるから、

と言ってうちわをくれたので、
ありがとうともらったのですが、
もう1つのうちわを探して、大きなカバンを開けているのですが、
そのカバンの中にはうちわはなく、
大きな布とかが入っていました・・・

その人ホームレスのおじさんでした。
私があげるならともかく、おじさんのうちわをもらったら、
さすがにまずいと思い、後で帰るときに、
涼めました!ありがとう!と返しました。

今日は、そのあと、4つの班に分かれて、2時間ぐらい
パトロール。
私は都庁周辺と、西口界隈のグループに入り、
ホームレスの人のカウントをして、
声をかけていき、具合の悪い人達へは
薬を配って行きました。
そのエリアだけで、今日は70人ぐらいの人がいました。

さり気なく、フリースペースなどに普通の人と一緒に
座っていたり、デパートの一角の野外の椅子とかにも
いるのですが、
数人で取り囲んで、声をかけると、
ホームレスとバレて、警備員に出されてしまうこともあるので、
バラけながら、さり気なく声をかけたり、
ビラを渡したりしました。
駅周辺の野外は全然だいじょうぶですが。

ボランティアの中心人物は、
友だちみたいに気軽に声をかけていきます。

私は、おばあちゃんに弱いです。

おじいちゃんには、冷静なのですが、
おばあちゃんを見ると泣きそうになります。

今日は泣きそうになった、おばあちゃんが2人いました・・・
いる場所はわかったので、
たぶんこれから個人的にコンタクトを取って、
出来ることをしていこうと思っています。

パトロールが終わり、
今度は、11時より、最終パトロールがあります。
これは、新宿駅構内の一角の階段が閉鎖される部分があるので、
そこに一斉にホームレスの人達が、集まってきて、
寝始めるのです。
そこは暗黙の了解のスペースで駅構内でも朝までは、
OKになるそうです。

そこでまた人数をカウントしたり、声をかけていきます。

今日は、夕方の炊き出しから夜中までの
2回のパトロールを参加したので、くたくたなので、
あまり感想は割愛しますが、
最後に、ひどいことを見ました。



みんな、解散して、私が一人で駅の外を歩いていました。
新宿の大ガード手前の道の真ん中で、
ホームレスの人が、ビルから飛び降りたかのような、
壮絶な格好で倒れていました。

一瞬死んでいるのかな?というような
危ない雰囲気がしていたので、
通る人も、
夜中なのに、結構無視しつつも、横目でみて、
ざわざわしていました。

でも、やはり、いつも通り、みんな素通り・・・

私も、さっきまでホームレスに声をかけてはいましたが、
服もボロボロ、靴もボロボロで、足の裏もまっくろ。
ここまでの人はいなかったので、正直怖かったです。

でも、ここで素通りしたら、私は何をやってたの?
という気がしたので、
勇気をもって、

「大丈夫ですか?」
と近づき、しゃがんで声をかけました。

全く反応がなく、生きているか死んでいるかもわからない
行き倒れ感があったので、
これはやばいと思って、警察を呼びました。
もしここで、無視して死んだら、私の責任だと思いました。

警察が来ました。

私は少し離れたところで、様子を見ていました。

警察

「おい!おきろ!こんなところで、寝るんじゃない!」
「おい!ここは邪魔だ!おきろ!」

と2人で、すごい勢いで怒り始めたのです^^;

正直、ビビりました(汗)

まぁ、しょっちゅうの事で、またか的?な態度?

やっと目が覚めたおじさんは、朦朧としていて、
目は開けたけれど、体は動かせません。

「救急車呼ぶか?起きて移動するか?」
「公園に移動しろ!」

体も起こせないホームレスに、命令ばかり・・・

やっとホームレスが手を宙に伸ばし、
起き上がりたいけれど体が動かないので、
手を貸して欲しい素振りをしましたが、
警察は全く、手も肩も貸す気もないらしく、
無視・・・

ただ、「おい!早く起きろ!」
この一点張り・・・汗

さすがに、私が前に進み出て、
そのおじさんの空中に伸ばしている両手をしっかりと
つかみ、結構大きくてがっしりした体を起こしました。

時間がかかったので、
警察も手をかすかとおもいきや、全く貸しませんでした・・・

ただ、その直後から、
私が傍観者から、当事者になったわけで、
急に言葉遣いと態度が変わりました^^;

「おとうさんさ~ここは道の真中だから、危ないよ。ひかれちゃうから」
「せめて、道の端に移動しようよ。ね。」
みたいか話し方に変わりましたwwww

そして、一生懸命動こうとしているのですが、
体が動かないので、まず、私が荷物を道の端に置き、
おじさんもどうにか動かそうとしようとした時に、

警察が、

「勝手に動かして、そこで放置させて何か起きたら、
私もあなたも犯罪者です。責任もてますか?。」

ということを言い出しましたw

たぶん、様子を見ていて思ったのですが、

警察のマニュアルは、そういう場合、
救急車を呼ぶか、自力で移動するかのどちらかで、
勝手に運んだり、移動させたらダメなんだと思います。
本人の意思がないまま、移動させて、何かあると
まずいからだと思います。

私が素直に、「そうですよね。わかります。」
というと、

警察官は
「私も意地悪でやってる訳じゃないんで・・・」

と付け足していました^^;

ただ、助けが欲しそうな体がふらふらのホームレスを
肩も貸さずに、言葉だけで、
移動しろ、移動しろといっても^^;
道の端っこに移動する数メートルぐらいはいいでしょ?

とは思いましたが、
もう夜中だし、警察に任せようと思って帰ってきてしました。

もう少し体が動けば、近くの公園まで同行しようとも
思いましたが、本当に起き上がれなかったので、
警察任せにしてしまいました。

でも、死んだと思ったおじさんが、
私が両手をしっかりと握り、起こしてあげた時、
驚いたように、目を開けて私をみました。

私が笑顔で返すと、
また、充血だらけの目で、私をじっと見て、
涙がにじんでいたようでした。

もっともっといろんな人に何か出来ることを
してあげたい気持ちが強くなりました。
してあげるとは、おこがましいですが、
とにかく、もっと彼らのことを知りたいと思いました!


新宿から、伊豆の往復の電車の中で本を3冊ほど読みました。
先日四谷図書館に行ったら、入り口付近に、
戦争特集というコーナーがありました。
この時期だからなのでしょうけど、
だからこそ、読んでみようかなと思って借りました。


■8月15日僕はナイフをすてた

これは、大東亜戦争中に中学生だった人が過去を回想して、
中学生ぐらいの子供が分かるような言葉で書かれた本です。

戦前日本は義務教育が小学校までで中学には、
試験に合格した人だけがいける制度だったそうです。
(戦時中は、中学生は、勤労奉仕といって、農業、工場などに
動員され、半分ぐらいは働かされていたそうですが)

試験は、戦局が厳しくなってきて、筆記試験が省かれ、
内申書、口答試験、身体検査の総合判定だったそうで、
口答試験の想定問題集の内容は・・・

①今度の事変で君の知っている人が出征していますか?
それは、君のどういう人になりますか?

②③出征する人を送った事があるか?その時の気持ちは?

④慰問文を出した事があるか、誰に出してどんな事をかいたのか?

⑤この事変で、わが国は支那人を滅ぼそうとしているのですか。
それとも仲良くしようとしているのですか?(こたえは、仲良く)

⑥それはすぐにできるでしょうか。

⑦銃後の国民として、どういう事を実行しているか。

⑧君は今後どんな覚悟でやってゆきますか。

こんな問題集で、今まで勉強してきた算数理科など何にも役に立たず、
不思議な気がしたと書かれています。

そして、敗戦で、当局からの通達で、それまで使っていた教科書を
全部もって登校せよとあり、
戦時中の教科書は軍国主義的な色彩が濃いので
その箇所を墨で塗りつぶす作業をやらされたそうです。

教科書を墨で塗るというのは異常な事で、
特に日本史の教科書は、ほとんど真っ黒になり、
墨を塗りながらだんだん情けなくなり、
戦争に負けるというのはこういう事なんだと、
悲しみが広がったと書かれています。

子供向けに書かれているので、グロテスクな内容はなく、
田舎の疎開先になるような地域で
わりとのどかな学園生活の話です。

■この子を残して

この本は正直、キツすぎました・・・
電車でずっと涙が止まらなかったので・・・

これは実話で、長崎大学で放射線医学を学び、
その後教授・研究者をしていた主人公の話です。

当時は、研究で毎日取り扱う放射線によって、
五体を犯され、科学の犠牲になることが
よくあったにも関わらず、
その研究で殉教してもいいとまで思って、
人のために尽くしたいと考えていた人です。

特に戦争中は無理を百も承知で、全身全霊の力を尽くして、
患者のために働いた教授ですが、
予期していたように、13年目で原始病は、白血病という形で、
現れ、余命3年と宣告。

そこへ不意に落ちてきたのが、原子爆弾。
そこで奥さんをなくし、2人の子供が残されました。

如己堂と呼ばれる2帖一間での生活。
23年10月へレンケラーが訪れ、24年九州巡幸中の
天皇陛下から見舞いの言葉を賜り、
12月長崎名誉市民、25年長崎の鐘という
松竹の映画まで出来た話だそうです。

本文引用します。

私の寝ている如己堂は、2畳ひと間の家である。
私の寝台の横に畳が1枚しいてあるだけ、
そこが誠一とカヤノの住居である。
中略
死病にかかっている父、
2人の幼い孤児予定者・・・これが如己堂の住民である。
如己堂は異常な家族である。住む者に特殊な人間である。
この3人の異常人が生きてゆく正しい道はどこにあるのか?

それを探して苦しみ、悩み、考え、祈り、努めてきた。
私が考えた事、子供達がした事、子供に話した事、
今分かりそうにないから書いておいてあとで読んでもらうこと。
それをそのままこの書に書いた。

これは私の家の記録である。
公の物ではない。
世間一般に通用する考え方、生き方ではないかもしれない。
しかし、孤児の親達、あっという間もなく、愛する子を
焼け跡に残して亡くなったあの人たちの魂は、
あるいは共鳴してくれるかもしれぬと、
ひそかに私は思うのである。
もし共鳴する魂があれば、
この書は亡き人々の代弁をつとめるであろう。
以上。

余命わずかで、目の前に可愛らしい子供達を毎日見て、
寝たきりで体を動かす事もでないない状態。
子供の将来を心配し、孤児院に引き取られなければならない、
不憫な子供として、あれこれ考えをめぐらせています。

子供にいろいろな事をしてあげたくても、
何もして上げられない。体も自由がきかないし、
お金もない。

でも、この主人公はイエズス会の洗礼を受けた信仰者です。
信仰があるために、この状況下で、
心を乱されないように、信仰心によって、
平静を保ち、前向きに生きた様が綴られています。

子供への愛情が本当に深く、
子供達も父を尊敬し、愛している家族。
その前に確実に迫ってくる死。
過酷な話でした。

■第五福竜丸 死の海を行く。

日本のマグロ漁船が、アメリカの核実験の死の灰を浴びた話。
実話、この事実については、誰もが知るところで、映画にもなっています。
まだ、途中です。。。

■すばらしき母親の物語


私の親は未だに、私によく本を贈ってくれます。
いろんな本がありますが、親としての本が多いです・・・
正直、あまり読まないし、送らなくていいと断るのですが、
なぜか、1文でもいいと思うものがあれば、それでいいからと
懲りずに数十年、送り続けてきます^^;

今回頂いた本は、読んでみました。

著者が本を執筆した理由。

心の豊かさに欠け、物の豊かさのみにおぼれた、
「見せ掛けの豊かさ」の中で、育てたれた子供の姿に、
いつも疑いと憂いを感じ続けていた。

自分の意思で主体的に考え進み、
自分で戦って壁を乗り越え、
夢や希望、自立、他への思いやりと学んでこそ、
その人の生き方は、やりがいと楽しさにあふれ、
真に幸せになるというのは、
当たり前の事なのに、

この20~30年、
これを求めようとする子供達の導き方は薄れ、
多くの子供達は自分の意思がないまま、
まやかしの生き方の中に、
放たれ、哀れな姿に陥っている。

自分の意思が抜け落ちた幸せなどという物は、
あってはならないどころか、あるはずもない物。
しかし、どこの子も、あるはずのない幸せのなかで、
あるはずもない笑顔ばかり・・・

この笑顔に悲しみをつのらせ、
今の子供達一人一人の命をもっと輝くものにしないといけないと
立ち上がりました。

特に1986年にあった東京の中野区の中学であった
「葬式ごっこ」といういじめで、一人の男の子が自殺したことを
きっかけに母親達への語りかけをはじめ、
その一部を書籍にしたものです。

いい事が結構かいてあったので、またの機会に紹介しますね。

筋書き?感想?難しいですね。
私の下手な解説であまり伝わらないかもしれませんが、
興味がある方は、是非手にとって見てくださいね。

5月から、新宿近くに引越し、Adobeの学校に通い、
海外に全くいけなくなってしまったので、
毎月国内に目を向けようと思っていました。

そして、伊豆が大好きになったので、毎月、
伊豆に出かけています。



もともと、海が好きなので、
伊豆は、素晴らしいところだと思いました。

友人のおうちに行くと、私が大好きなお魚料理づくし。
揚げ物、酢漬け、刺身、などなど。
一生懸命手料理でもてなしてくれました。

どれも本当に美味しくて、すごい量をぺろっと
完食してしまいました。感謝です。


そして、食事が終わると、花火の音がし始めました。
毎週末、湾で行われているそうです。
私が花火が見たいといったので、
車で飛ばしてくれたのですが、
ここは高台の別荘地なので、湾まで車で15分ぐらい・・・

着いたときには、20分の花火はちょうど終わっていて、
見られませんでした。残念。

でも、伊東の湾で見られる普段の花火はこんな感じです。





都会みたいに周囲に障害物が無いので、
広々と、どこからでも、見られるのがいいと思いました。

結構、観光地のせいか、
コンビニやお土産やさんでは、
静岡限定物もたくさんありますね。




個人的には、ひものが好きです。
お酒のつまみに最高ですね。
ただ、かなりにおうので、電車での移動は、
ちょっと気になります・・・w



伊豆、伊東など、本当に素晴らしい観光地、
別荘地で、緑は多いし、地魚はおいしいし、最高ですね。

今回は時間があまりなく一泊のみでしたが、
また来月も来たいと思いました。

国内もいいところたくさんあるんでしょうね!
みなさんもお薦めの所があれば教えてください。


今、Adobeの学校でイラストレーターの授業の終了製作中です。
3日間で、レストランメニューを作るというものです。

昨夜は一生懸命、自宅で内容を作っていました。
女子会、軽飲み、などの団体メニューを作成したのに、
CS6で作成し、そのまま保存したので、
学校のCS5では、開けずOUT・・・

かなーりテンション下がりまくって、
ぼーっと表紙にする背景を作り続けています・・・
こういう感じの背景は、10~15分ぐらいでできるので、
何枚も作っています・・・
和食レストランの表紙を考え中・・・


 






イラストレーターも3週間ぐらいで終わり、来週から
html と CSS の授業に入っていきます。
Webサイト構築ですね。

もう、かなりの事ができるようになってきて、自分でも驚いています。
やっぱり、半年ぐらいなんでもがっつりやれば、
そうとうの事ができるのだと感じました。

以前、ブログで何か作らせてほしいと
お願いしましたところ、
読者の方の、七宝焼きの先生から、
展示会の案内を作らせていただけることになり、
先日お渡しできました。

とても勉強になりました。
自分で好きに作っていると、自分のやりたい方法しか使いませんので、
しっかりこういう内容にしてほしいといわれると、
自分なりに不得意なことでもチャレンジしないといけないので、
それが嬉しいというか、楽しいというか、お願いしたい理由です。

それとは別に、まったく勝手に自分でも作ってしまいましたが・・・

背景はイラストレーターで、グラデーションの円形の組み合わせで
作りました。そこにいただいた写真の載せて、編集しました。


 

夏らしくと思ったのですが、展示会は秋ですね^^;
こういう所まで目が行かないのが、素人です^^;

あとは、先に背景をつくり、レイヤーをまとめてしまったため、
字の重なりで、見にくいところの円の青を濃くしたかったのですが、
できませんでした(汗)

まだ、こういう段階ですが、
バザーの案内とか、趣味の会とか、何でもいいので、
作品作りさせてくださる方は、もちろん無料ですので、
是非、こういうのを作って~!
と手書きでいろいろ作ってほしいものを写真に撮って送って下さいね!

■ちなみに、今回靖国で、みなさんのご意見を読みながら、考えました。
靖国と、九段下交差点は、分けて考えたらいいと思いました^^;
靖国=お参りに行くところ
九段下交差点=デモをするところ

これでOKですね。

むしろ、交差点で騒ぎが起きていれば、
靖国内は、安全です。
靖国は、現在、完全に政治の道具になっていますから、
神聖に祈りの場といえるのかどうか、確かに疑問ではあります。
ただ、死んでいった兵士や、特攻隊の方たちにとって、
靖国で会おう
というのが合言葉であったように、
亡くなった方の魂の集まる場所だと考えます。

また、8月15日にこだわる必要もなく、
疲れたときに、靖国に行って、じっと戦争について考え、
遊就館で時間を過ごせば、
悩みも吹っ飛ぶと思います。

生か、死か、
真か、偽か、

そういう問題を突きつけられて過ごした若者の
問題に比べれば、
自分の悩みなんでゴミみたいと思えると思います。

勇気を力をもらえる場所だと思います^^