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【未来を創る瞳】

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■この【平気でうそをつく人たちー虚偽と邪悪の心理学】 の書籍ですが、お薦めの1冊です

[内容紹介:自分の非を絶対に認めず、自己正当化のためにうそをついて周囲を傷つける“邪悪な人”の心理とは? 個人から集団まで、人間の悪の本質に迫るスリリングな書!]


もう10年以上前に購入したもので、334ページ からなる読み応えタップリの内容本であります。

当時、邪悪なる者たちについて『そのとおりね、【弱者ほど“弱者”を叩きたがるものだ】と思いながら読み進みました。

そして、 【邪悪=悪による犯罪の根源は“怠惰とナルシシズム”にあり、自業自得による不治の病】 だと思います。


又、邪悪なる人物たちは似ております。
とても良く。
(私への犯罪を行っている者たちなども、とても似ています)



本文から一部抜粋し、以下にUPしましたので参考になされて下さい。



平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学/M.スコット ペック
¥2,310
Amazon.co.jp




1p312においては

邪悪な人間の特性として、他人を道徳的に邪悪であると批判することがあげられる。
自分の不完全性を認識できないこうした人間は、他人を非難することによって自分の欠陥の言い逃れをせざるをえない。
また、必要とあれば正義の名において他人を破滅させることすらこうした人間はする。




2p323においては

悪とは醜いものである。
これまで本書では、悪の危険性とその破壊性を中心に論じてきた。
しかし、悪には、いまひとつ、醜悪性という側面がある。
そのさもしさ、安っぽさ、下卑た寂しさがそれである。
邪悪な人間はみな同じように見える。
本書の第三章で私は、邪悪なパーソナリティーを臨床的、疾病分類学的に描いた。
この私の描いたパターンに邪悪な人間がいかにぴったりあてはまるかは驚くほどである。
一人の邪悪な人間を見れば、基本的にはすべての邪悪な人間を見たことになる。
だとするならば、なぜこれまで精神医学者は、この歴然とした、固定したタイプを見分けることができなかったのだろうか。
それは、邪悪な人間の身につけている体面の仮面にまどわされ、
彼らの「健全性のマスク」に騙されているからである。
私の友人のある聖職者は、邪悪性とは「空極の病だ」と語っている。
健全性を装ってはいるが、邪悪な人間は最も不幸な人間である。




3◆第5章 集団の悪について 

もし、われわれ自身がゴミの中で生活しているためにゴミにたいする
不快感を感じなくなるならば、われわれ自身がゴミを撒き散らす人間になる可能性がある。
自分の苦しみに無感覚になっていれば、
他人の苦しみにたいしても無感覚になりがちである。
侮辱的な扱いを受けつづけていれば、自分自身の尊厳に対する
感覚を失うだけでなく、他人の尊厳にたいする感覚をも失ってしまう。
切り裂かれた死体を見ることが気にならなくなれば、
自分で死体を切り刻むことを気にしなくなる。
つまり、残虐行為全体にたいして目をつぶることなしに、
ある特定の残虐行為だけを選んで目をつぶることは極めてむずかしい、ということである。
自分自身が残忍な人間になることなしに、
残虐行為にたいして無感覚になることは出来ないのである。

あまり感心しないことではあるが、現実に広く見られる
集団ナルシズムの形が「敵をつくる」こと、
すなわち「外集団」にたいして憎しみを抱く事である。
その集団に所属しない人間は劣った人間か悪い人間、
あるいはその両方であるとして見下される。

集団疑集性を強化する最善の方法が、外部の敵にたいする
憎しみを助長することだ、とは広く知られていることである。
ヒトラー時代のドイツ人は、ユダヤ人をスケープゴートに
することによって国内問題を無視するようになったのである。
邪悪な個人は、自分の欠陥に光を当てるすべての物あるいは
すべての人間を非難し、抹殺しようとすることによって
内省や罪の意識を逃れようとする。
同様に集団の場合にも、
当然、これと同じ悪性のナルシシズムに支配された行動が生じる。
  
戦争そのものを含めて集団の悪を防止するには、
怠惰とナルシシズムを根絶、あるいはすくなくとも
著しく減少させる必要のあることは明白である。
集団のリーダーに働きかける道が閉ざされている時には、
集団の最下層の構成員に働きかけ、草の根的な支援を得なければならない。
われわれの働きかける相手は個人である。