経営者が参考にする≪韓非子≫の思想
もうすぐ4月も終わってしまいますね、先に紹介した「性善説」「性悪説」について述べましたが僕が若いときにその時の社長から、「この本を読みなさい」と渡された本に「韓非子」の本がありました。 これは「性善説」「性悪説」にも深く関連があるとされています韓非子の思想は中国の覇者、秦の始皇帝に高く評価された思想です。秦の統一をえがいたマンガの「キングダム」にも韓非子に関連のあることが書かれてるんです中国の春秋・戦国時代に活躍した思想家、韓非によって書かれたものです。全20巻55篇で構成されていて、厳格な法治主義を唱え、信賞必罰の徹底を主張し、君主権の確立や法による富国強兵などが書かれています・・・・・ここは紀元前の思想と現代の経営思想に繋がるものがあると僕は強く感じました春秋・戦国時代を代表する思想のひとつとなり、後に法家と呼ばれる一派を形成し、現代にいたるまで国家統治の要として大きな影響を与えています。韓非が生まれた時代は、戦国時代の末期でした。当時の中国では「戦国七雄」という7つの大国が争っていて、そのなかでも「秦」が他の6国を圧倒している状態です。中国の統一が目前に迫っていました。 そんな時代背景のもと、韓非は「秦」の隣国で、「戦国七雄」のなかでも最弱といわれていた「韓」の公子として生まれます。司馬遷の『史記』によると、後に「秦」の宰相となる李斯とともに荀子のもとで学んでいます。その後は何とか母国である「韓」を守ろうとさまざまな策を国王に提案しますがどれも採用されず、鬱々とした日々を過ごしていました。そんななか己の思想を後世に残そうとまとめたのが『韓非子』だといわれています。そして、これを読んで感銘を受けたのが、「秦」の国王、後の始皇帝です。「韓」が「秦」に併合されかけた際に、韓非が弁明のための使者として「秦」を訪れると、始皇帝は彼を登用しようとしたそうです。さらにこれを妬んだのが、「秦」の宰相となっていた李斯です。李斯は韓非の才能を知っていたため、もし彼が登用されると自身の地位が脅かされると考え、ある事件の濡れ衣を韓非に着せました。その結果、韓非は投獄されることとなり、自ら命を絶ったのです。司馬遷は『史記』の「韓非子伝」で、「君主に説くのがいかに難しいかを言いながら、自分自身は秦王に説きに行って、その難しさから脱却できなかったことを悲しむ」と記述しています。韓非子の説いた思想の中の「二柄篇」(にへい)「八姦篇」(はちかん)はまた内容が興味をひくものと思いますので次の機会にまた紹介します。