もう何年前なのかな?

娘が小学1年の1ヵ月から積極的不登校をして、その行かなくなった理由はてんかんになったからってことになってるけど、そもそも最初から学校っていう所が私は嫌いだったし、子どもを行かせたくないと思ってたんだよね。

 

でも子どもが「行きたい」と言ってるのに行かせなかったら虐待と言われてしまう世の中なので、子どもの「行きたくない」という言葉を聞いて積極的不登校をしました。

 

子どもが1歳半の時、モラハラ夫と離婚してから、親は毒親で頼れず正真正銘ワンオペで、生まれた時から多動の娘を一人で育てて、友達も子育て支援センターのBBAも誰も話を聞いてくれない、手も差し伸べてくれない。

ちょっとでも言えば「我慢しろ!」「別にいいじゃん」「親は?親戚は?」「私だったらこうするよ」と弱ってる人間にマウント取って優越感に浸る。

 

誰も「大変だったね…」と言ってくれない。

「そうなんだ…」も言ってくれない。

誰もお前のアドバイスや意見なんて聞いてねーよ。

ただ「うんうん…」って最後まで話を遮らず聞いてほしいだけ。

お前のすごい!っていう話聞かせて、マウント取って、弱ってる人間をさらに弱らせてどうしたいの?って感じで人生に疲れ果てて、世の中すべての人間に不信感を持っていた時に書いたブログなので、すごく尖ってました。

 

6年間くらい書いたのかな。

娘が小学5年生くらいの時にはてんかんは治ってました。

本当はもっと前に治ってたと思います。

私はその時、娘の主治医のことが好きだったので片道2時間かけて主治医の病院に通ってました。

ひどい親ですよね。

自分の恋愛にてんかんの子を付き合わせるなんて。

でもフォローする訳じゃないけど、うちの子は泡吹いたり、痙攣したり、倒れるてんかんじゃなくて、ただ数秒ボーとする軽いてんかんでした。

 

だからその好きな主治医が移動になって遠い病院に行っても付いてった訳だけど、主治医は脳の専門でもないし、主治医もただ私のことが好きで私と会いたいだけでした。

子どもの病気を治したいとか真剣に考えてくれる人ではありませんでした。

 

そのことがわかって、別に付き合ってた訳じゃないけど、もうその主治医の病院に行くのはやめました。

それくらいの時にブログを書くのもやめました。

もう思い出したくないし、元夫もそうだけど、なんであんなヤツ好きだったんだろう?と思うし、吊り橋効果ってやつかな。

 

子どもがてんかんっていう病気になって、シングルマザー頼る親なし天涯孤独の私がその主治医と運命的な出会いをして、向こうもこっちに好意的だったら頼りたくなっちゃうよね。

最初から「んっ???」って思うところはあったけど、一人でいるのが辛いから考えないようにして、5年間くらい主治医の病院に通ってました。

 

でも、この主治医と関わってたら子どもが危ないということがあって、嫌いになって行くのをやめました。

もう切り替えて心機一転、一人で頑張ろうと思っていた時、主治医が私の前に現れました。

主治医の病院に行くのをやめて1年がたった頃です。

娘が中1か中2(ガッツリ不登校で行ってないけど)の時です。

 

その時書いていたブログも見たくないし、書こうと思ってもパスワードを忘れてたし、とにかく見たくなくて、もうなくなってると思ってたけど、今娘が20歳になって新しい生活に入るので私もまたブログを書こうと思って、なんとなく

「不登校 シングルマザー 伊藤」と検索したらまだ私のブログがあって、こんなこと書いてたの?

すげー尖ってんじゃん!!と思った次第です。

 

あの時は、自分は間違ってない!と思っていても、本当に不登校という選択が子ども本人にとっていいのか悪いのかわからなくて、出口の見えない迷路にいるような状態で、触るもの皆傷つけた~音符って感じで、おかしくなってました。