考えたい。
先ほど、名古屋で起きた「自殺」についての報道番組を見て
何となくコメントしたくなった。
以前、私も中学の時にひどいいじめを受けた事をご紹介した
が、いじめに対する対抗策は「強くなる」事しかないと思う。
色々な識者の意見こそあるが、いじめとは強い相手に負けた
証の「単語」である。
だから、自分を鍛え、相手に負けない自分を作るしか方法は
無いと私は断言する。
教育者や著名な方だと私のような表現は、思っていても無理
だろうから私が変わって言わせて頂く。
このブログの読者であろう私の知人のある方は、その組織の
長から長い間「いじめ」に遭っていた。性別は男と女であるが
セクハラではない。
周りでみている私から見ても、その姿は「あり得ない」
なので、気になって「大丈夫」と声を掛けると、悲しそうな目で
私を見ている。少し私を相手にガス抜きをして、また明日から
同じ状況で仕事をする。
これを1年は続けていただろうか?
私はあることがきっかけで、その長に「喧嘩を売った」別段
そのある方の肩を持ったわけでも何もないが、ある方に
「やり返しておいたよ」と言うと「虐められていませんから」
と言うではないか。
実は大変驚きましたが、この辺がある方を他人とは思え
なくなった理由になります。
事実上は虐められていたとしても、心では負けない!
この辺がそのある方を気に入った理由になります。
私は、褒められることではありませんが「やられたらやり返す」
をモットーにしています。この理由は明確で、過去いわれなき
裁判を受けたことで、反論の意思表示をしないと大負けする
可能性のあることを実体験したからです。
私は経営者なので、相手には明確な意思表示が必要ですが
一般の会社員や学生さんは難しいとは思いますが、例えると
こうなると思います。
貴方が、空手の全日本優勝者なら相手は虐めるでしょうか?
たぶん、仕返しされると恐ろしいのでやらないでしょう。これは
男女とも同じでしょう。
空手の有段者の女性にセクハラをして、回し蹴りされては
身が持ちません。もしかすると死ぬかも知れません。だから
普通はやりませんね・・・
人間とはこんなものだと思います。
ちなみに私も空手を習いに行きましたが、自分が強くなって
来ると、心に余裕が出るものです。
そして、体だけではなく意志も、教養も高める事で、誰にも
負けない人間になれます!
従って「いじめ」とは神が貴方を高めるために人を使って行う
セレモニーだと言う事です。
強くなって人に負けない「人」になるんだよ・・・
勿論、自分一人で切り抜けられないかもしれません。
その時は、自分の味方を探すんです!
それは、お父さんやお母さん、そして兄弟でも、先生でも上司
でもないかもしれませんが、近い存在に自分の味方が絶対に
いると私は思います。
そして、その人に支えられながら自分を強くする・・・
こうして、この社会のジャングルで生きて行ける人間になる。
それが、中学生の時に大人が寄ってたかって守ろうとする。
これでは社会人になって「引きこもり」や「自殺」を助長させる
ようなものです。
この点を判らない人達が、TVで語っています。
社会はジャングルであるならば、自分以外は全部敵のような
もの。それを制度やなにかで守るとは「弱くなれ」と言うような
ものです。
だから真に受けるのも自由ですが、社会人になると「いじめ」は
普通にやって来ます。
でもそれは、対応1秒で「いじめ」から「お世辞」に変わって行く
変なものなんです。
だから、自分が強くなればいいんです。強くなれば「いじめ」は
お世辞に変わります。
付け加えるならば、政治も同じです。
数の論理でしか決まらないので、色々ありますが、本音でもの
を言える人が集まって、良い社会を作って欲しいと思います。
昭和40年、私が生まれた年から始まった「日本国債」は既に
1000兆円に達し、富の分配ではなく負の分配が行われよう
としています。
この段階でも自己利益の誘導が優先か、どうか?
1億の国民がすべて「いじめ」にあうようなご時世ですが、本当
にこれで良いのか?
若者達に問いたい・・・
自己責任って何なのか?
私は今の日本に生きることすべてが「自己責任」だと思います。
だから、今回の選挙だけは自分の信じた人に投票をお願い
したいのです。
まあ、こんな気分になりました。
おやすみなさい・・・