母の日記⑩〜7/13初の腰痛出現に鎮痛剤内服した日〜 | 母 多臓器癌と生きる

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突然の母への癌宣告...その時すでに膵臓癌-大腸癌と肝臓転移と言う状態でした。そして父母同時期の余命宣告...告知からの日々の記録です。

癌と言う病気を受け止めていつもの明るい母が癌と共存する、そんな日を待つものの...母はどんどんしんどさが強くなり、ついに痛みが牙をむきます。昨日7/12(金)は父に会いに行けたのに、今日は料理も出来ない程しんどいと...。

そんな7/13(土)の母の日記です⬇️
(原文通り)
今日はすごくしんどい
夕食は賢がさかな焼いてくれた
うれしかった 涙 涙
美代ちゃん肉じゃが作ってくれた
じゃがいもがすごくうまかった
夜中右側の腰すごく痛い
まさるにとんぷく お願いする
惠子元気だせ。元気だせ
力ください
力は自分ががんばらないと
出ないよー
※賢.まさる=息子
※美代ちゃん=母の実姉

ついに腰痛...夜中の2時(実際には7/14の2時)に痛みで動けず2階にいる弟に携帯で連絡して薬をもらったと7/14(日)早朝に母からの電話で聞きました。内服したのはロキソニンですが、初鎮痛剤内服でもあり顕著に効果はあったようです。母は電話で『骨に転移してるんかな』とポツリと言いました。PET検査をしたわけでもなく実際どこまで広がっているのかは大学病院での検査をしてみないとわからない現状でしたから、そしてそこまで進行しているとは考えたくなかったコトもあって、膵臓がやられると腰痛くなるからそれじゃないかな〜と答えてました。(その日のブログです➡️)

しかしついに痛みが出たかと...叔母がごはん作ってきてくれたり、弟が家事を代行したり、この日を境に母が一気に動けなくなったように思います。

『自分ががんばらないと力が出ない』こんなコトを言わせたのは私です。母が病気を受け止められていないと思っていた私は、受け止められることが出来ればまだまだ癌と共存出来ると、そこばかり強く励ましたせいです。7/15(日)に母の姿を見てそうではないと思うまで、私は筋違いの励ましをしていました。母は頑張っていたのにもっともっと頑張らせようとしてしまいました...(その時のブログ➡️)

遠くの私は的外れな励ましばかりしてましたが、叔母や弟がよくしてくれてました。感謝しかありません。そして日毎悪くなる母を見て叔母も弟も心配や不安でたまらなかったと思います。


最後になりましたが、たくさんの方がアクセスくださって、フォローしてくださたり、メッセージやコメント、いいねなどいたただいて感謝しています。母(そして父)が生きた証がここに残せるコトにも重ねて感謝の気持ちしかありません。お一人お一人の皆様へ感謝の気持ちを述べたいところですが、この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとうございます。