体罰ではなく虐待というべき | 日本で活動中のサッカー監督のブログ

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バルセロナで修行してきましたが、2017年より日本で活動しております。

連日話題になっている桜宮高校
バスケ部の監督による
選手虐待について。

僕も日本で指導者として
未熟なときはあって
あまりにも自分をバカにしてくる
子供に対してついカッとなって
平手で顔を殴ってしまったことが
ありました。
その子は頬の内側を切って
出血し、僕はその子と親の前で
頭を下げて自分のしたことを
謝ったことがあります。

基本的に暴力を使ってしまうのは
言葉で伝える力がないためだと
思っていてそれは指導者として
最も恥ずべきことだと
思っています。

でも一方でその暴力を体罰として正当化し
チームを強化するために必須の
手段であると思っている指導者も
多いのも事実です。
さらに実際に強豪校にそういう価値観が
多くまかり通っているのも事実です。

恐怖で行動を支配された上で
負ければ虐待を受けるという
緊張感で試合をすれば
確かに死に物狂いで戦うし
練習でも手を抜かないでやるので
結果が出るのも理解できます。

ただ本当にプロを目指すのであれば
そういう縛られた規律の中でしか
スポーツをしたことのない人間は
大きなハンデを背負うとも思っています。
なぜなら自律する習慣がないので
自分をコントロールしたり、
自分を追い込むことができず
伸び悩むからです。
そういう意味で暴力で選手を
コントロールするのは
選手を育てる手段としても
間違っていると思います。

こういう部活動内での虐待の
再発防止は本当に難しく思います。
問題の本質は学校という閉鎖された
世界では社会の常識が適用されず
かつ生徒や親、あるいはマスコミさえ
その異常を異常と思っていない
ことだと思っています。
例えば「体罰」という言葉自体が
学校の中でしか適用されていない
言葉であり、社会一般的には
それは「虐待」であり「いじめ」と
なるはずです。

かくいう僕も中学3年のときに
担任の先生にクラスの学級委員として
精神的に追い詰められる
ようなことを多くされました。

忘れ物や提出物を忘れたり
学級会で議論が
グダグダになったり
学級委員としては
確かによくなかったと思います。
それでも理由はいろいろでしたが
ほぼ毎日、担任に呼び出され
僕の不出来を一時間かけて
強く指摘され、
さすがに精神的に参りました。
さらに卒業文集のまとめを
おこなっていたときに完成が遅いと
見るや、給食を抜きにされて
作業を強いられたこともありました。
一番、きつかったのは不登校の生徒に
卒業文集のコメントをもらうのに
僕が電話して聞き出すように
指示されたことですね。
自分が彼の立場であれば
放っておいてほしいだろうに
無理やりコメントをもらわなければ
いけないというところで心が
締め付けられました。さらに
せっかくもらったコメントもその担任から
すぐにダメ出しされて本当に
きつかったのを憶えています。
そんなに僕に対して不満があるのなら
学級委員を辞めさせてくれと
担任にいいましたがダメでしたね。

今、考えれば虐待の何ものでも
なかったと思いますが
当時は自分のせいだと一方的に
思っていましたね。
ただ今でも覚えているのは
家庭訪問で来た時に
僕の親に見せる表情と普段
学校で僕に見せる表情の違いです。
学校では僕に対して上から
睨むような般若のような
目をしていましたが
家庭訪問にきたときの先生は
ニコニコしていてまるで別人の
ようだと驚いたのを憶えています。

話が長くなってしまいましたが
つまりその担任も学校外に出れば
学校の中でとるような態度は
できなかったということです。
具体的にはなんともいえませんが
閉鎖された空間ではなく
もっと社会に開放された空間となれば
今回のような痛ましい事件は
起こらなかったのではと。

ちなみにスペインサッカーで「体罰」は
全く聞きません。仮にそんなことをしたら
親からクレームが出て即クビになりますね。