大津市の痛ましい事件について。
小学生時代の元いじめられっ子
(今は現役のいじられっ子!?)
としての意見でいうと、
いじめられる方が助けを
求めるのはとても難しいです。
よくいじめに遭っている
子に対しての応援メッセージで
「誰かがきっと助けてくれるから
あきらめないで!
勇気を出して声を上げて!」
というのがありますが
それは全く現実的に見えません。
僕の場合は相手の
復讐が怖いというよりも
誰かに助けを求めるのは
自分の弱さを受け入れて
しまうことのように思えて
できませんでした。
それは死ぬことより
つらいことです。
だから自分は弱くない、
この逆境を耐えてみせると思い
苦しみに耐えたり逃げまわる
毎日を過ごしてました。
それでも当時は自分からは
誰にも助けを求めてはいけない
と考える一方で、心の底では
誰かに助けて欲しい
とも思ってました。
最終的に僕は中学入学を
機に学校生活をリセット
できたことが大きかったです。
中学デビューでなんとか
いじめられっ子生活から
脱出できました。
もし小学校の環境が
そのまま続いたら、
状況はよりエスカレート
してただろうし正直
死んでたかもしれません。
次に少年サッカー指導者
あるいは教育者の
端くれとしての意見。
元も子もない話になりますが
結局、大人がどれだけ
子供の異変に気づいてあげられるか
その異変に対して
間違っていることを
間違っていると
どれだけきちんと
伝えられるかによると思います。
確かに加害者側の親や
学校の態度は擁護すべくも
ありませんが
正しいことを正しいといわず
間違っていることを間違っている
といえない社会構造のしわ寄せが
たまたま大津市の小学校で
事件として表面化した
ように思えて
仕方がありません。
例えば僕のことで言うと
スペインでは
日本よりも競争が激しいので
チームが負ければ、その戦犯となる
チームメイトに対して容赦なく
批判を浴びせます。
それがエスカレートしてプレー
批判を越えて、その人そのものを
否定したり、誹謗中傷する場合が
あります。
あるいはロッカールームでは
子供同士でふざけが
過ぎることもあります。
僕がそういうときに必ずいうのは
他人を尊重することを忘れては
いけないということです。
人を尊重できない人間は
他人からも尊重されないよと。
人から信頼や尊重を得ることなしに
社会的な生活するのは無理だよと。
ま、最悪いうこときかない
阿呆には力づくでいうことを
きかせてますけどね。
そういう大人として
当たり前のことを
一人一人がやってくしか
ないような気がします。