イギリス人女性記者スザンヌ・ラックによる、イギリスを中心にした女子サッカーの歴史についての本、女子サッカー140年史:闘いはピッチとその外にもあり。

結論から言うと、読むのが大変な本だった。
自分が知っている選手の名前が、監督としてアメリカ代表などの指揮を執ったピア・スンドハーゲが出てくるまで一人もいなかったってのもあるかもしれないし、割とずっと苦難の歴史なので、読んでいて楽しいものでもないってのも理由かもしれない。

万人にオススメする内容では無い気がするものの、例えば女子スポーツの歴史についてのレポートなどを書く必要がある場合は、この本は相当良いだろうとは思う。

ただ、日本人が読む上で致命的とすら言える点がある。
訳者あとがきで補足されているものの、アジアの女子サッカーについての記述がほぼ無い。
さすがに2011年女子W杯優勝している日本代表くらい少しは扱えよって言いたくなるレベルで、抜け落ちている。

この本の冒頭で女性への差別について語り、
「男のサッカーを模倣するだけで良いのか、我々はもっと良くできる」
みたいなこと書いているけど、アジア軽視してねえか感すら浮かぶものの、とはいえあまり知られていない女子サッカーの歴史について触れられるという意味では非常に良い本。
なんかもうまとめみたいなこと書いてるな…

イギリス女子サッカーの歴史

1881年に初の女子サッカー国際試合が行われた。
この頃の(男が押し付けてくる女性への)価値観は女は激しいスポーツするな、女の身体に良くないという風潮が強く、女は家で育児と家事してろみたいな感じだった。まあ今でもそういう奴はいるけど。

しかし第一次世界大戦で男が兵士として居なくなり、女性が労働力として一気に社会に出ることになった。
それにより女性たちの娯楽を認めざるをえなくなったし、男と同じ仕事が出来る身体があるんだから、サッカーが身体的に向いていないという理屈も通らなくなった。
結果、女子サッカーチームは一気に増え、人気になっていった。

その中でも特に人気だったのがディック、カー・レディース。
多数のアスリート女性が所属し、チャリティーマッチでめちゃくちゃ支援金を稼ぐようになった。
(なぜかわからないけどこの本の表記はディック、カー・って感じで読点と中黒になっている)

支援金は当初、第一次世界大戦の傷病兵支援に使っていたが、ストライキをしている炭鉱夫の支援にも回されるようになった。

この状況をFA(イングランドサッカー協会)と、支配階級が恐れたという。

元々このストライキの原因は、炭鉱の民営化による大幅な賃金カットへの抗議が原因。
炭鉱運営側は仕事が無くなって食べて行けなくなったら鉱夫も戻ってくるだろうと目論んでいた。
しかしこれを支援されてしまうと、ストライキが終わらない。

この調子で労働者支援をされては支配階級としては困る、ということらしい。

FA、女子サッカーにグラウンド使用禁止令

結局FAは、女子にグラウンドを使わせないという強硬手段を取る。
これによって女子サッカーは勢いを失い、女子サッカーは長い冬の時代へと突入する。

状況が大きく変わりだしたのは1970年代。
アメリカの第二次フェミニズムがイギリスにも及び、中絶合法化など女性の権利が拡大。
その流れでUEFAやFIFAも、FAに圧力をかけてくるように。

時代の変化に応じる変化があると考えたのは、FA事務局長、サー・デニス・フォローズ(Denis Follows)だった。

1966年イングランドW杯を仕切ったこの男は、女子サッカーのグラウンド使用禁止令を撤回。
1971年には女子FAカップが開催された。
これにはジェフ・ハースト(66年W杯決勝でハットトリック)も「良識の勝利」とコメントを寄せた。
しかしこの後もまだまだ、イングランド女子サッカー関係者は苦労した。

イタリアの非公認女子W杯

この時代、女子サッカーが最も進んでいたのはイタリアだった。
FIFAが女子W杯やらんなら自分達でやるわい!と「コパ・デル・モンド」を1970年、自国開催。

トリノでの決勝は4万人を集めた。
翌年にはメキシコで開催し、決勝はなんと11万人の観客。

ただ、今の価値観だとアレな要素が多かった。
選手はホットパンツをはき、身体のラインが出る派手なユニフォーム着用、記者会見や試合後は綺麗にメイクをしてから等…
大会委員長は
「女とサッカーは二大男の好きなものなんだから、2つ組み合わせて楽しんでもらう」
的なコメントをした。

うーん…って感じなんだけど、これによりFIFAとUEFAが
「女子サッカー、金になるやんけ!!」
と注目する結果に。

一方、この非公式W杯に参加したイングランド女子代表チームは、アルゼンチン女子代表に削られまくり、満身創痍になって帰国。
これにより、やっぱり女の身体はサッカーは無理やんけ!みたいなクソうぜえことにもなったらしい。

その後の流れ

アメリカではケネディが暗殺される前に提出した、タイトルⅨ(1972年成立)という連邦法修正により、女子サッカーが大きく伸びた。
これは学校、大学の男女アスリートに均等機会を与えないといけないというもので、アメリカ女子サッカーこの恩恵を受け、一気に選手層が厚くなっていった。

イタリアは女子をセミプロ待遇し、ヨーロッパ中から有力選手が集まった。
1984年から88年、ムンディアリート(小さなW杯)も開催。

1986年。女子サッカーの母と呼ばれるエレン・ヴィッレを代表とするノルウェーはFIFA総会で、女子サッカーを公式に認めるよう促す。
これを当時のFIFA会長アベランジェが同意。
当時事務局長で、後のFIFA会長ブラッターを検討責任者とする。91年、女子W杯開催。

そして現在の女子サッカーに繋がっていく。
女性が権利を獲得し、可能性を広げようとする運動にロンドン五輪とカナダW杯が大きな推進力となった。しかしまだまだ道半ば。

ものすごい端折って、大まかな流れを書くとこんな感じ。
ここまで記事を読んでて、あれ?本読まなくて良くね?って思うかもしれないけど、全然っす。
全然触れてない話題も多いっす。

他にも特にインパクトを残した選手についてとか、北欧の女子サッカーの歴史とか、訳者あとがきによる日本女子サッカーについてとか、まだまだ色々書いてある。

最後に

単に女子サッカーに留まらず、女子の権利と社会情勢について触れてある、大変読み応えがある良書だと思う。
不満は最初の方にも書いたけど、訳者あとがきを除く本編において、日本についての記述がほぼ無いこと。
これには訳者の実川元子もあとがきにて
「若いイギリス人記者だから仕方ない部分もあるけど英語圏方面に偏っている」
と苦言を呈していた。

個人的には、イタリア主催のコパ・デル・モンドの
「ホットパンツ!身体のライン見せる!」
という下品なやり方で収益が出たことで、流れが変わっていくあたりが色々考えさせられる。

勿論それだけが変化の要因では無いんだろうけど、金になると示すことが商売人達を味方につける結果となり、規模が拡大していく要素になるってのが、これが資本主義…!って思わされた。

そういや前述のブラッターはFIFA会長時代に
「女子はもっと身体のラインが出るユニフォームにした方が良い」
って発言して叩かれていた。

単にブラッターの趣味なのかと思っていたけど、コパ・デル・モンドを思い出しての発言だったのかもしれない。