フランケンシュタインの誘惑

科学史 闇の事件簿

『科学者 野口英世』

 

【内容】公式HPより抜粋

日本人の誰もが知る偉人・野口英世。

福島県の貧しい農家に生まれ

幼少期の事故で左手が不自由になりながら、

医師となり、単身渡米して研究医に。

黄熱病や梅毒の研究で

ノーベル賞の候補にも挙げられた

細菌学のスーパースターのひとりだ。

しかし現在では、その研究の多くが

誤りだったことがわかっている。

なぜ野口は間違ったのか? 

科学者・野口英世の欲望の物語。


野口英世といえば現在の

千円札の顔である。

彼に対してのイメージは

黄熱病とやらの研究で

功績を残した人、くらいの

ものでしかなかった。

 

 

しかしそもそも黄熱病ワクチンを

作り出したのは

彼ではなかったんですね無気力びっくりマーク

 

 

 

 

では一体野口英世は

なにをしてきた人なのか??

この番組を通して彼の

知られざる欲望の物語、

その光と影を学んだので

備忘録用にまとめておく。

 

 

まず彼の持つ上昇志向と

他人に自分を認めて欲しい、

尊敬されたいという

承認欲求の高さが培われた

要因としては以下が考えられる。

・貧しい農家の生まれであったこと。

・赤ん坊の頃に負った火傷による怪我を16歳で手術するまでずっと、周りから嘲笑され続けたこと。

 

そうして彼はこう決意する。

なんの希望もない、

水呑百姓の家に未練はない。

俺は裸一貫で必ず偉くなる。

 

 

周りを見返したい、

その思いを強い原動力に変え、

彼はひたすらに努力した。

 

 

語学力を身につけるため

あらゆるツテを頼りにし、

地元の医師からは英語を

西洋史の教師からはドイツ語を

フランス人宣教師からは

フランス語を学んだ。

 

 

そして学歴がなくとも医師免許を

取得できる医術開業試験に挑戦。

通常は合格まで7年ほどかかると

されているこの試験に

なんとたったの一年で合格!!

こうして研究者への一歩を

踏みだすのである。

 

 

しかしその道のりは

決して容易ではなかった。

語学力が功を奏し、なんとか

北里柴三郎の伝染病研究者に

入所するも、そこで学歴の壁が

彼を苦しめる。

助手補として入所したが

実際は翻訳をしたり

本を並べたりする図書係のような

仕事ばかり。

居場所を感じられることはなく

悶々と過ごす日々。

 

 

そんなある日アメリカ医療視察団が

来日し、研究所に立ち寄る。

その際にサイモン・フレクスナーの

通訳を任された野口。

彼にアメリカに行きたい旨を話すと

フレクスナーは社交辞令で

応援するよ〜ウインクと返す。

それを鵜呑みにした野口は

単身アメリカへ。

行動力と物事を自分の

都合のいいように

解釈する力すごい。 

 

 

もちろんフレクスナーは

いきなり押しかけてきた野口に

対して戸惑う。

大学には野口を雇う予算などない。

落胆する野口に同情した

フレクスナーは僅かな賃金で

個人的に野口を雇ってくれることに。

フレクスナーめっちゃいい人ひらめき

 

 

そしてついに野口に転機が訪れる。

フレクスナーが設立されたばかりの

ロックフェラー医学研究所の

所長に就任し、そこに野口を

引き入れたのだ。

フレクスナーどこまでもいい人ニコニコ

 

 

その頃梅毒が流行し、

成功者のいなかった

梅毒の純粋培養という難題に

野口は挑み、成功したと発表。

世界中が彼を賞賛した。

同じ方法で他の科学者達が

培養を試みても失敗したため、

野口は細菌学の魔術師と

呼ばれるようになる。

そしてまた、進行麻痺の疾患が

梅毒の末期症状であることを

証明したのだ。

 

 

がしかし、梅毒の純粋培養は

今でも困難で不可能とされており、

野口は本当は成功して

いなかったのではないかと

推測されている。

梅毒の診断方法に関する論文も

発表したが、それも今では

失敗だったとみなされている。

 

 

梅毒に関する以上3つの

論文により、野口は

世界的な名声を手に入れた。

 

 

彼が次に研究対象としたのが

狂犬病。

そして病原体を発見したと

フレクスナーに報告。

結果は明白で、決定的です。

そう伝えたらしい。すごい自信だ…。

しかしフレクスナーはその結論に

疑問を持ち別の研究者にも

意見を聞くよう指示。

その時指名された研究者は

セオボールド・スミスという

伝染病研究の権威。

スミスは野口にこう伝える。

これが狂犬病の病原体かは

判断しかねる。

もっと実験を続け、結果を

明白にするべきだ。

 

 

しかし自身の研究結果に

とてつもなく自信があったのと、

誰よりも早く論文を

発表したかった野口は

この意見を無視雷

野口のゴリ押しに負け、

フレクスナーは発表を許可。

条件として発表後に

再検証することを約束させるが

野口がこの約束を守ることはなかった…。

 

 

のちに狂犬病の病原体は細菌ではなく

ウイルスであることが判明。

そもそも野口が使っていた

光学顕微鏡では見られないものだった。

 

 

こうして野口は、

ロックフェラー医学研究所の

最高幹部の1人である正研究員に昇進。

ノーベル賞の候補にも名前が上がった。

幼い頃に抱いた、

俺は必ず偉くなるという望みが

次々と叶っていく。

 

 

長くなったので②に続く。