あれから20年 | 俺達COLLINAのブログ

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秋の行楽シーズンですね。
気候も良かった先日、昔の足跡を辿りがてら田舎道の散策に行って参りました。

私は生まれも育ちも東京なのですが、学生だった18歳からの4年間、印旛郡印旛村という場所に住民票を移した千葉県民でした。

とにかく懐かしい山道を歩いてみようと降り立った駅。


北総線の印旛日本医大駅。
私が学生の頃はこの駅も、この路線さえもありませんでした。

う~ん、何か違うなぁこの感じ。
高層マンションに整然と区画整理された街並み。道路も舗装されているじゃないか…。
でもまぁとにかく方角勘を頼りに足を進めてみました。


どこも舗装されているし、昔はなかったバイパスが新たにできているようで歩きやすく、車も通れるようになっていました。

途中途中で、温泉マーク(当時の学生は皆そう呼んでいました)のような校章を付けた、Tシャツ・短パンあるいはジャージに身を包んだハツラツとした後輩が颯爽と自転車で過ぎ去って行きました。
でも私の時は男子だけの学部だったので、陽に焼けたゴボウのような女子生徒の姿には、やっぱり時代の流れを感じました。

歩いて行く途中の林の向こう側に射撃場があり(あんなの昔あったかな?)、実際に見ることはできませんでしたが、ひっきりなしに銃声が轟いているので背筋の凍る思いでした。流れ弾か何かに当たったら敵わん…。

ありましたありました、山田橋(無くなる訳ないよな)。


北と南の印旛沼を結ぶ水路が流れています。結構高くて怖いです。

交通事故で亡くなった同級生の現場にはお地蔵様が。手を合わせ、冥福を祈りました。


寮生活を終え、上級生になって住んでいたアパートにも行ってきました。
もう毎日がファーブル昆虫記でしたよ…。


母校にも立ち寄って、さらにてくてくのどかな田園や水路を渡りウォーキング&ウォーキング。



やっと着きました。
この駅周辺も変わったなぁ。

昔は試合のたびに朝イチの京成線に乗ると、一番後ろの車両が行商専用になっていて、野菜を満載した、自分の身体の2倍くらいの箱を担いだ小さなお婆ちゃんがいっぱい乗っていて、津田沼や船橋へ向かっていました。今でもそのシステム、あるのかなぁ…。


思い出辿って昔話をするようじゃ完全に爺さんだな俺も…。
この日、歩行総距離としてはあちこちブラブラと12kmくらいですかね。時間にして約2時間半。
爽やかな陽気も手伝って心地良い疲労感。いい運動になりました。



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