落ち着け。
人を恨んで自分をダメにするな。
by ヘルベルト・フォン・カラヤン
カラヤンの指揮が好きです。
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「理解」という言葉をメディアでみかけるのですが、だいたいは、理解が足りない、とか、理解がなくていいのか、というもの。それに付随して、説明が足りない、というのもある。
一度説明がなされたならば、その説明のどこの何についてどう説明が足りないと、具体的に問い返すことが建設的な議論であろうと思う。足りない、足りない、だけでは前に進まない。
問題なのは、「理解」という言葉が、まるで万能な武器というかマジックワードみたいになって、対処していかないとならない物事を滞らせ、分断させ、更に真の理解から遠ざけていることだと思うけど、どう?
〇
あれれ、もう金曜日がくるよ。
みなさまに おいしい金曜日を。
本日もありがとうございます。
こんばんは。
今日もおつかれさまです。
やっぱりね、見ていて思うことは、向井君、元気君、がんばったね、がんばってるね、、、というところかな。美和子や麻美の気持ちについて、いろいろ察して見ていても、そう思ってしまうなあ。美和子や麻美を、あんな感じで見ると、わたしには、男性のほうが同情的に際立ってくるよ。
向井君も元気君も、足らないところはあるけど、すごく独善的でもないし、むしろ相手のことを思いつつ、理解しようとしているのが見えたしね。
という感じもある。
〇
それでも、男性みんなが、
じゃあ、いいよ!わかったよ!
もう知るか!勝手にしろ!
という感じにもならず、気持ちを向け続けてくれているのが特徴でもるよね。
最後の向井君だって、考えて考えて考えた結果だもんね。
〇
気持ちを向け続けられているという点では洸稀も同じだけど、何気に、一番不器用かもしれない洸稀説もあったりして。洸稀は、いろいろな言葉を使っているけど、心理的なセーフティゾーンからけして出ない。セーフティゾーンから出ないのは誰ものことだけど、その為により感情を隠してるようにも見えなくもないなあと。それも大人だからという、説明になるかもしれないけど。洸稀の本音は吐露されるのかな?どうかな?
ということで、
美味しいもの食べてますか?
あなたに おいしい金曜日を。
それでは
今夜も
ぐっすりと
おやすみなさい。