無色透明な水に水色を感じるように、

好きな人の言葉やしぐさは、

人から人へ伝わる透明な色のよう。

 

 

 

 

 

 

 

透明を透明なままに、色を感じるというのは、好きな人や物を、何の障害もなく好きでいられるということかもしれないなあと思います。

 

そういう「好き」でいられるように、自分の気持ちを邪魔するかもしれないものを心や環境の中に存在させないようすることは、時にちょっと残酷なことかもあるかもしれなくて、自分にとって世界は一瞬一瞬が0(ゼロ)からはじまるんだよということでもあるのかもなと。

 

なんというか、そうやって「好き」の純度とか、透明の透明度を保つことかなあと感じます。

そして、純度とか透明度って、涼やかさとか爽やかさが大事になってくるだろうなとも。好きでも、粘着とかした時点でどこか純度とか透明度がかわってくるように感じます。涼やかに爽やかに風通し良く、好きなものを好きでいることは、おそらく、きっと、すべてを上手く運んでいくでしょうし、今この時代を心地よく生きるコツみたいなものだろうなと感じます。そこは今も昔もそこはかわらないかな。

 

 

 

 

 

ということで

 

みなさまに 涼やかで爽やかな風が吹きぬけます。

 

本日もありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おはようございます。

 

冷たい水につかるとヒヤッとしたりますが、わたし的には、温泉につかるよりも、まあ程よい水温の水につかっているほうがリラックスしたりします。水に潜って手足を伸ばしたり縮めたり、水面で力を抜いて浮かんでみたり。

 

 

 

 

ちゃぷちゃぷ  ちゃぷちゃぷ

 

 

 

 

きれいな水辺には蛍が棲むけど。

完全なH2Oには棲んでいない。

やっぱり水、なんだなと。

 

 

 

ということで月末の週末の土曜日ですね。

おらは朝からお仕事するのら。

 

 

 

ではでは

 

あなたにも 涼やかで爽やかな風が吹きぬけます。

きれいな水でみたされています。

 

 

今日も一日

すわやかさまー