昨日はお話会。
その言葉たちを発している人たちの根底にあるものは、わたしたちがリアル(もしくは、
だと思っている)な世界で、自身の拡張だったり、他者との共鳴であったりするのだろうけ
ど、怒りや喜びなどといった単体の感情ではなく、もっと複合的に重なり合ったところから生まれる何かを手探りしているように感じました。
そして、その言葉たちを聴いている側にも、同じようにその何かに触れる期待みたいなものがあるのかなあと。
世間に溢れている言葉は、いってみればこの世界やこの世界の出来事をリライティングしたものだとも取れます。そんな言葉の世界で、みんなこの世界をどう観ればいいのか?という疑問に追われ続けている。「 観たいように観ればいいよ 」という言葉も聴くけど、やっぱりどう観ればいいのか?という疑問から離れられない。
どう見ていいかわからない、そもそも何も見えないかもしれない。かといって、絶望しているわけでもない。微かに空中を漂いつづける期待感。その期待感が、感情と繋がることを待っている、、、新しい光となることを待っている、、、
そんな世間の溢れる期待感や疑問。やがてくる期待感疲れと疑問疲れみたいな雰囲気に、そろそろ期待も疑問も手放して、「 欲するままに進め 」と。手探りで見つからない時は足を使え、変化を喜び、この世界の主人公であれ、、、みたいなこととかだったかなと。
〇
昨日はたくさんのシンクロがあった日でした。その中で、感じること、考えたことを即座に言葉にすることは慣れも技術も必要だなとも。 おもしろい良い一日でした。
ということで
みなさまひとりひとりが、主人公です。
本日もありがとうございました。
おはようございます。
例えば、素人であるお施主さんに専門用語を使わず何かを説明すると言葉の数がだいたい増えます。専門用語には、いろんな情報が詰め込まれているので、それを噛み砕いて話すと言葉数が増えるのは自然なことです。
専門用語を使って話を高度化していくのは言ってみればピラミッドのとんがった頂上を目指す方向で、言葉をどんどんやさしく簡単にしていくのは、ピラミッドの底辺(裾野)への方向。
どちらの方向もあっていいわけです。狭く鋭く頂上を目指すのもあり、裾野を広げ、その結果てっぺんをより高くしていくのもあり。かっこよさ、やさしさ、強さ、丈夫さ、掛かる時間、いろいろちがうけど。
と、何を書こうとしていたのかな?
この戦略も脈略もない文章笑。
とまあ、専門用語をつかわないと手間がかかるけど、その手間をかけることも大切なことなんだよなと。
〇
たぶん みんな、出会いに期待しすぎ。
そんなに期待しないけどね、、、くらいのほうが、期待どうりになったりする。
〇
ということで
あなたは やっぱり主人公です。
それでは
今日も
ごきげんさまー