何かをはげみにしつつ 生きていく

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かや何かを失ったとき、

心にぽっかりと穴があいたような気持ちになるのは、その誰かや何かが、自分の心のその部分を埋めて支えてくれていたから。

 

そんなふうに、自分も誰かの心をささえているということだってある。

それは普段は気づかないかもしれないけど、きっとそう。

 

そして、何かがはげみになっているというのは結構お互いさまでもあったりするかもしれない。

だから今日このとき、自分を大切にしてください。

それは誰かを大切にしたり、励ましたりすることでもあるのですから。

 

 

 

 

 

 

 

おはようございます。

今日もおつかれさまです。

 

”愛しい嘘”という言葉から浮かんだのは、

たとえば、救いのない人がいたときに、その人の心を軽くするには、残るのは方便しかないという考え方。これはたしかお釈迦様だか偉いお坊さんだかが言っていた言葉です。方便は、嘘になるかもしれないけど、ただ真実から目を逸らすだけの嘘でもないんだよと。

 

これはかなり最後の手段というかんじですが、方便にはわかりやすく話すという意味合いもあります。どちらにしても、やさしさが込められているということです。まあ、嘘も真実も、何をしわせとするかは、人それぞれでもあるのですが。

 

 

 

 

闇は全てを内包する

光と闇の閾より全てがうまれる

 

 

 

 

さらにタイトルは”やさしい闇”と続いています。方便は少しでも闇に光を灯そうとするものですが、やさしい闇は闇そのものです。その闇は、かすかな光に気づくためのものか?厳しい白昼明白さから守るものなのか?どうでしょう?それは物語を見てのお楽しみ。

 

寝るときはやさしい闇が眠りやすいにゃー。

闇という字を書いていたら、ふと、開高健 「輝ける闇」のタイトルだけ浮かびました。

こちらも読み直してみるかな。

 

 

ということで

まだまだ、お仕事がおさまらなーい、なわたしです。

励みます。

 

 

あなたがやさしい陽射しにつつまれますように

 

 

それでは今日も

おはよう

こんにちは

いってらっしゃーい