めずらしくオカルト的なお話。

 

作品中で予言し、それが当っているという漫画家さん本人とされていたツイッター アカウントがなりすましだったことが判明したという話。

 

少し前たまたまツイッターでこういう漫画家さんがいて、こういう漫画やそういう話があるんだ、と知って漫画家さんについて調べたり、一度そのツイッター アカウントを見たことがあります。

 

※ちなみに予言とされていることの内容は、ここでわたしが触れる必要がないので触れません。

 

ツイッター アカウントをみたときの感想のひとつが、この漫画家さんは女性らしいけど、ツイッターの書き込みをしている人は、なんとなく気配が男性だよなあ、、、、ということ。女性という情報の真偽もわからないから漫画家さんは本当は男性なのかなあ???それとも漫画さんじゃない人が書き込みしているのかな???と。

 

ふたつめが違和感。予言の内容にではなく、ツイッター内にあった、予言にある災害からひとりでも多くの人々を守るため、、、という内容の言葉にです。言葉自体は、何が悪いとかないです、、、、ここから、ちょっとヘンテコなことを書きますが、信じなくてよいです。

 

それは、漫画に描かれたことが、何らかの意志とか力とかインスピレーションとかが働いて描かれたとしましょう、その時、それを描いて世に出した人が、世に出すという行為以降に、人々を守るために、、、とかの意志で動いたり、別の発信をすることは、「 おかしい、、、」 と感じたことです。

 

あくまでわたしの感じたもので、そして、今回のこの話に限った話かもしれませんが、「おかしい」と感じた理由は、予言を受ける者とそれを受けて何らかの行動する実践者は別であるのが本当であるということです。そのことを違和感という感覚で受け取りました。そういう意味で、あのツイッターのアカウントってわたしのなかで矛盾があったわけです。(※漫画家さん、予言とされる内容、なりすました人の言葉・行動、それぞれ別々でみれば、意味のようなものがあるのかしれないですが、それらを繋げることは矛盾する)

 

 

 

 

予言者(受け取るもの)はよりクリアであること。そこには例え人類のためであっても価値観や思惑を挟み込まないのが、予言者としては正しいのだろうと。それは芸術家、漫画家という表現のインスピレーションを受ける人のクリアさと同じです。

 

そして、ここからが、今日の話の中心なのですが、

 

予言されたことが起きたとしても、例えば、マグニチュード〇〇、震度○○の地震、もしくはそれに匹敵するような事象が起きるということと、それを受けてでる結果、例えば大きな被害がでるということは、イコールではないということです。地面が揺れること建物が壊れることはイコールではない。さらに言えば、予言とされている内容も変化していきます。起きるべく事象のエネルギーは消えないので、何らかの形で事象が現れます。ただ現れ方はひとつではなく、さらにその事象からの結果も変わるということです。

 

 

事象(のエネルギー)  ≠  それによる結果

 

 

そして、

予言として注目されたこと、なりすましが起きたこと、再出版が決まったこと、その再出版が延期されたこと、など事象は変わっていっているということです。これは、予言とされたことと結果がかわりつつあるとも見れます。シュレーディンガーの猫の話や、大難が小難に小難が無難になるという話や、パラレルワールドの話なんかがあるようにです。

 

ついでにもう少し書くと、だから、役目のある人が重要な場所に意識的、無意識的に集まって、ただ生活をしていたり(オカルトやスピリチャルへの興味の有無は関係なく)、見えない存在も日々活動している、、とも言えるのですけどね。

 

 

 

 

 

 

こんばんは。

今日もおつかれさまです。

 

 

専門家と呼ばれる人がどの分野にもいますが、都度都度思うのは、その知識、技術は何のために、誰のために、あるんだろう?ってことです。大概がその分野について詳しくない人たちのためだったりします。

 

世の中や社会っていろいろな人や立場や価値観があるので、ひとつの理屈や方法では片付かないことばかりで、無駄なことも多かったりします。そういう社会のなかで、専門家がひとつの対処、対策しか提示しなかったり、別の可能性を検討しなかったり、逆に可能性をすべて等価にならべるだけだったり、専門家の言葉や常識からでることなく素人の集まりである社会を見なかったり、したらたぶんその専門家というのは、うまく機能しないだろうなあと思ったりします。

 

また内科と外科と精神科、動物医学と人間医学と感染学、電気業者と水道業者と内装業者、経済と医療と政治、などなど異分野がうまく連携しないから効果的に動けないこともあるよなあとも思います。異分野の連携って、見方によっては専門家どうしであって、見方をかえれば素人どうしということで、やっぱり専門家はそれ以外の詳しくない人のためにあるのだなあと。

 

昨日2話のお話はそういうことも改めて思い出しました。

そういうことも、成長というなかにはあるんだなと。

 

 

 

明日の天気は?

 

 

 

あと、手術の糸の結び方練習をみて。ああ、これかあって。

 

 

ということで、

 

あなたにもりもり元気がわいてきますように

 

それでは

ぐっすりと

おやすみなさーい