こうすればきれいになる、おもしろくなるというような

ノウハウだけ知っていてもダメなんです。

そうでいながら、ふつうをみつけなければならない。

 

この世には、ふつうにきれいなものはいっぱいあります。

そういうものは、変にデザインされたり、演出されたものよりきれいなんです。

でも、そこまでまとめられることは、むしろあたりまえで、

それを超えて魅力がありながら、

よくよく見るとふつうであると、、、

 

というのはデザインの話の中でいわれるひとつなのですが、

何もデザインだけではないだろうと思います。

 

 

 

通りすがり

例えば専門的な理屈だけでは、宗教に助けを求めた心は救えず、宗教が犯した過ちに対応できない。

断片的な事実主義では複合的で重層的な人間や社会を捉えることはできず、理解の歪曲や破壊を招く。

目の前の事実には全てが含まれている。真実も虚構も光も影も神話も現実も過去も未来も全て。

そういう事実が「ふつう」であって、さらに新しいふつうをつくりあげる。

 

歪んだ事実主義を卒業し、あたらしい事実主義になるともいえる。

原因が事実をつくり、その原因を探すという世界(過去が現在を刺激し、未来が現在を刺激する世界)

から

事実が原因となり、事実をつくるという世界(現在が過去を刺激、現在が未来を刺激する世界)

になる。

 

というような言い方は、少し前までは通用しなかった。

世界や社会がそうなっていなかったからだ。

やっと、そこに向かえるようになりつつあるということでもある。

 

 

通りすがり

光の時代という者もいるかもしれない

しかし、こうともいえる

濃い影をつくるのに十分な光がある

とも。

 

ふつうには光も影もあるということだ。

 

 

ひまわりん。

 

 

こんばんは。

今日も暑かったですね。

おつかれさまです。

一日もくもくと作業していたわたしは一日の記憶があるような、ないような感じです。

 

さてさて今日は、

藍色地に金魚柄というかわいらしく、黄色いひまわりが生えるすてきな浴衣姿。よいなあ。

涼しげな夏の趣を感じることができました。

 

子供たちの姿には笑ったり、うるうるしたりでした。子供たちのあんな姿に弱いのです。これをやるんだという思いと、さみしかったり、心細い気持ちと、いろんな思いがせめぎ合い混ぜ混ぜになった感情の現れが泣くという表現で、あらためてそうだよなあと思ったり、わたしたちの日常でも、「 なぜ?」 と問いただす大人に子供たちがうまく答えられなくてあたりまえだよなあ、、と思ったりもしました。それも個性がみんな違うなか。

 

一方、大人びた笑い話もあり、こちらもおもしろかったです!

『 ミラーマン 』 変身するかもね。

 

ということで、

まだまだ酷暑が続くそうです。

体調お大事に、がんばってまいりましょ。

 

ではでは

おやすみなさい

あなたが心地よく眠れますように