文章としてどうなるかわかりません。
浮かぶままに書きます。
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私たちから見る一本の線(1次元)があり、それは微小な存在から見れば幅のある面(2次元)であり、もっと微笑な存在には厚みのある立体(3次元)であり、もっともっと小さな存在からすれば5次元でも6次元でもある。この世界の多次元性を微小な世界に求め、私たちには見えないが多次元は存在するという理論、ざっくりとかきましたが、ひも理論からくる宇宙観です。理論の中身の話ではなく、ここでのポイントは、私たち3次元(時間をいれて4次元)の住人が2次元を見ることはできるけど、5次元を見ることができないように、3次元に住む私たちは3次元的発想でしか多次元や世界を理解や表現をすすめることができないということ。
私たちの使う言葉は3次元の言葉であり、もしかしたら5次元には5次元に対応した言葉もあるかもしれない。3次元の価値観に根付いている情報や言葉は、どんなに宇宙や多次元の話をしても3次元に縛られているかもしれない。
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昔昔には、この世界は真っ平らで海の果ては滝のようになっていて、天体は地球を中心にまわっている、、、、というのが真実でした。しかし、今ではそれは過ちで、地球は丸い球体で、太陽のまわりを回っている、、、というのが真実です。こんなふうに新発見があり、真実が変わることはどういうこと何だろうと考えたことがありました。そして、それは、何が真実であるかという点より、人間は 「 それが世界の真実なのだ 」と受け入れる能力というか性質があるということに至りました。例えば、世界が5秒前にできあがったとして、その中の何かが何億年前のものだと定義づけられたら、5秒前にできたものでも何億年前のものと人間は受け入れる。
真実が生まれるのは、人間が真実を見つけたの時なのか、そういうふうに人間が想像した時なのか、またはその二つが同時に起きたときなのか?は、わかりませんが、人間の性能の話ではなく、人間のみる世界はそんな感じで認識され出来上がっているのだろうと思ったのです。そして、そのくらい真実とは移ろいでいるとも言えます。
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では、言葉はだめなのか?といえばそうでなく、まだまだ可能性を秘めていると感じます。それは、チャネリングという今世の中に溢れている価値を乗せた情報としての言葉というよりも、物語や詩といった想像や表現の世界にあると私は感じます。なぜなら、その二つは行間や言葉でない部分を言葉によって浮かび上がらせようとしていることと、技術を磨かれた言葉はあらゆる次元、事象を内包できる力を持っていると感じるからです。
その言葉のセンスは、より多く言葉や技術や表現に触れること、より多く言葉意外の自然なものに触れることによって養われと思います。わたしが、このブログで伝えようとしていることは、そういうことなのかもしれないとふと思いました。チャネリングとかもするけど、その情報よりも、人間が先に行くのためのセンスを磨くことが大事。裏であろうが表であろうがひとつの価値に根を張る情報は、上で述べた真実のようなもので、いくらでも転換します。
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例えば太陽の質量は太陽系全体の99.8%。地球の質量は0.0003%です。太陽が少し傾けば時空やあらゆるものに影響し、世界は5秒いや1秒もかからず変わるでしょう。方便ではなく、おそらくそのくらいことは現実として起こりうるのだと思います。ただ、成されていないのか、私たちの目に見えていないだけです。今、私たちに求められているのは、ライブな現象の5秒、1秒に込められた機微を感じとるセンスなのだろうと思います。
こんばんは。
今日はいかがでしたか?
とまあ、上では書いたのですが、これは一種の憑依みたいなもので、笑
私の生活は、今日はお仕事で、今住んでいる世界の価値の中で
何事かを考え、動いていたわけです。意味が溢れ意味を求める日々、ささやかな意味のなさげなことに
喜んだりします。これはなんだ?と訊かれること自体に意味がないような。
そして、なんと、5月も最終週。毎度書いてますが、早いですね。
わたしも、ひとつのお仕事が、6月始めの完成に向けて追い込みとなります。
あなたも、ラストスパートですかね?
日々がんばって、しっかり味わっていきましょう。
元気をおくります。
それでは、
今夜はこのへんで
あなたのあすが素敵でありますように
おやすみなさい
くだらない話でやすらげる僕ら
煙の中で溶け合いながら
探し続ける愛のことば
