日々、わたしも「迷う」ということはあるもので、仕事のことから、その日の夕食のことまで、その気になれば迷いの材料は尽きないものです。今日もあれこれ作業のための理屈を考えたのですが、思考の文脈を外したやり方のほうが良さそうだと感じ、作業するのを中止しました。

 

合理的な考え方ができないから迷うのだ。

ということを耳にしますが、実のところは、迷いというのは、

「これをすれば、こうなる」という合理的で、論理的な因果関係の中で物事を考えてしまうからなのだろうと思います。

 

精神世界でも、科学の世界でも、こういった因果という考え方がありますが、そこから外れるものが、人間の心にはあるように感じます。何か本質的なことがわかったり、心の世界が突然見えたり、オカルト的なことでなく、そういう合理的に科学では説明できないものがあります。

 

因果関係に関係のない動きを見せる心を因果関係で捉えようとすると迷うばかりです。その時何が大事なのかといえば、因果の関係を追求するよりも、現実に生きている自分自身の心の中で何が起こっているのかを、どう捉えるかということだろうと思います。

 

本能であるとか、直感や感性といったものを受け入れ、開くには、時に間違いながらも、心に見えるままに受け入れることからなのだと思ったのでした。

 

 

 

 

こんばんは。

今日もおつかれさまでした。

 

あなたとみなさんのかわいいウサ姿をみて、今年の正月に家族で過去のアルバムを見ていた時、子供の頃のわたしの写真をスマフォで撮っていたのを思い出しました。それは、うさぎのぬいぐるみを抱えてベレー帽をかぶった小さい頃のわたしで、今では見る影もないなあとあらためて眺めました。

 

第3回でした!先日の「はじめに音ありき」のように、言葉を口にしてしまうと、自分が想像以上に感情や心の機微が溢れてしまうかもしれない。その結果、立場を超えてしまうかもしれない。心の動きに自分を偽らず、かつ現実的に向き合うには、口を閉ざすしかなかった。ただ和歌にだけ託した。今回も大事な真ん中は、沈黙で表現され、切ない物語となっていました。よかった。

 

事件解決が合理的目的で、合理的でないのが心の動き、合理性と不合理性を文字でつなぐ物語なんだなあと感じます。機微とかデリカシーとか出てきますが、合理性と不合理性の温度差を埋めるのは、迷わない忖度しない矢代さんのような熱だろうなあとも思います。

 

そして今日は拍車をかけて矢代少年でしたね。柔道も決まっていました!体張ってますね!いい感じです!今回も最後に矢代さんのまっすぐな言葉が印象的でした。あなたの矢代さんがいないと誰も生きてこないです。

 

あだ名もシワのやりとりも大きな目も、細々と盛りだくさん、あれもやりたい、これも入れたいという気持ちと、それに応えるみなさんの気持ちを感じます。今回もおもしろかったです!!

 

ということで、

思ったことをすべて口にする高いテンションの矢代さんになりきればなりきるほど、反比例して言葉少なくなってしまいそうな あなたかもしれないですね、元気付けて、がんばってください!

 

あなたが毎日健やかに、元気に走りとげることができますように。

それではでは、

おやすみなさい。

お身体大切にしてくださいね。