なんとなく不思議な昨日と今日です。

昨日。
山手線のある駅を降りると駅の入口近くで、小さな女の子が寄ってきました。

顔や衣装をみるとネパールあたりの国の子のようでした。女の子は小さなカードを私にみせました。この時点で私にはその文章を読むとかすでにできないくらいでしたが、日本語と何語かわからない言葉で、募金をお願いする旨が書いてありました。これが本当の募金目的でないことは、声をかけられる前からわかっていたのですが、とても迷っている自分もいました。

女の子の顔を改めてみると、まだ幼いきれいな透き通るような印象の顔で目もきれいで澄んでいました。ただどこか憂いでいるようにも見えました。

わたしは、女の子の眼をみながら「がんばってね」というのが精一杯でした。女の子は静かに少し微笑みながら「はい」と答えました。

結局お金を渡すことなくそこを離れました。その後から、ずっといたたまれない自分がいて、だまってお金を渡せばよかったんじゃないか?とか、子供をあんなふうに使う大人に対しての憤りとか、その大人すら非難することなんて、そもそもできないんじゃないか?とか、

自分は上から見ているんじゃないか?とか、この世界にもともとある理不尽さや人生の皮肉さとか、その理不尽さやいろいろに対する自分の弱さや力なさとか、、、、頭のなかで巡っていました。

用事を済ませ駅にもどると女の子はさっきより離れた場所でしたが、まだいました。わたしは黙って山手線に乗りましたが、女の子の顔が浮かんできて、なんとも言えない気持ちでした。。。


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日が変わり今日、また電車に乗ると、座席に座る二人の女の子(小学校低学年くらい)が綾取りをしていました。綾取りをする姿を珍しく思い眺めていたのですが、帽子で顔が隠れていた子の顔が見えたとき二人は双子だとわかりました。同じ白い帽子と制服に同じ顔のふたりが、夢中で綾取りをしている光景が、すごく不思議な感じがしました。この感覚がなんであるのかを、自分の中を探ってみましたが、結局わからないです。


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夜、仕事や用事を終えて、少しほっとした時、自分が空っぽになっていることに気づきました。お腹が空いたとかじゃなくて、感情に近いところのエネルギーがなくなっているのです。いつもなら音楽を聴くとかすれば復活するのですが、今日は効果がありません。

そんなこんなで空っぽのまま夜の公園ですわり、遊んでいる子供たちを眺めていました。その中でボール投げをしている黒人の女の子がいて、ボールを投げるのがあまり上手でないことがはずかしかったのか?投げる度に私の方を見返して笑いかけてきました。こちらも笑い返すと、次第にいろいろおどけて見せてくれたりして、終始笑顔を向けてくれました。そうしたら少しだけ元気が戻ってくるのがわかりました。


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しばらく眺めて家に帰る途中、昨日の女の子の顔が浮かびました。また、いたたまれない気持ちがよみがえってきたのですが、今日はもう少し複雑な感覚で、私自身もよくわからないのですが、ほんとにわからないのですが、歯をくいしばりながらボロボロボロボロ涙を流していました。単純に悲しいとか悔しいとかいう感情とは違うのです。悲しいというより哀しいだし、それだけでもない感じ。。。


今は落ち着いたのですが、昨日、今日の子供だちとの不思議で小さな出会いはなんだったのかな?って思います。


なんとなく不思議でせつない満月の夜です。