運命ですか~
直接運命について言及されているわけではないですが、ある現代アートの作家が云っていた言葉を思い出しました。

「今まで地獄もみてきた自分もいる。アニメや漫画で育った自分もある。。。自分の中にあるのならそれらも使う。。。。例え今までのアートに馴染まないものだとしても。。。。
表現で勝負するには自分の持っているものの全て総動員で勝負しないと太刀打ちできない。。。。」

物語の話をしましたが、逐一その都度我が身に起きた出来事に人生の意味を問うたところで、物語など描くことなどかなわない。真に意味も見えてこない。物語はその物語自体を手放したところでしか語られない。まっただ中では、ただひたすらに筆で色をのせ勝負するしかない。

べつに使いたくなければ使わなくてもいいのだけど、

意味とか考える前に使える物はとりあえず使ってみるというのもあり。。。ってことかな?

運命を考えるのも人生の意味について考えることに近いかもしれない。運命なんてものも多分手放したところで見えてくる。過ぎて起きたこと全てを運命とするならばそれはある意味幸せで、未来に運命をみようとすると大概は今を損なうか苦しくなるか。。。それが、なんらかの約束があろうがなかろうが。

そのあたりの心の機微もとらえて話ができないから、神界も天使も宇宙人もミスリードしてしまう。。。
だからといって、そこを責めることはできない。だって違いすぎるから。
実のところ彼らは運命や物語なんて言葉にはあまり興味がないのかもしれない。
人間にたいして便利な言葉だから使っているのがほとんどではないだろうか。。。無邪気でズルイ。

自分のことは、誰かでなくて自分の心や頭でなくて、案外体が一番知っているように思うことがある。
この世の命は体に宿る。運ばれてきた命を私たちは体を使って運んでいく。そんな命のことは体がよく知っている。。。かもしれない。。。

それにしても、運命という響きは潔さそうだけど、その響きの底には刺激的で甘美で挑戦的でありながらどこか怠惰な感じがする。。。運命の出会いってのも惹かれないわけでもないですけどね 笑

、、、ということで、、ボソッと書いてみました。

----------------------

塩爺
時間をとおしてみることができるわしらからすれば、運命とはただの切り口をそう呼んでおるにすぎぬ。それぞれの人生の連続性をもったワンピースでしかない。それも、いくつもパターンがある中の一つ。運命がないわけでも、意味がないわけでもない。ただ、それはおぬしらそれぞれに委ねられておる。。。

「運命」という言葉でたきつけるとするならば、おぬしらの云うように、ただ無邪気に約束や願望をくちにしているのか、奴らになんらかの目的・コンタンがあってのことじゃ。

しかし、なぜ人間がそれらを求めるのか?
運命と物語とはよくに似ておる。人間は運命や物語といった「結びつき・縁」に自らのルーツや因縁を見出す。
魂の震えを求めるのじゃ。だからこそ運命や物語を求める。
魂の探求がそこにある。。。ということじゃ。

しかし、運命を知らんとするならば、運命とは身を引き裂かれ血反吐を吐き悶え死ぬのも運命であるとも覚悟することじゃの。。。。ほっほっほっ

----------------------------

ほっほっほっって・・・
ということで、風邪っぴきでぼんやりしながら、今回は大阪からお送りしました~~
東京かえろ。。。。早くあったかいふとんでねたい。。。。