書店でふらりと雑誌を眺めると、知らない遊牧民の女性の写真が載っていました。

狙ったところがなく自然で、正面から力んだところのない写真。その写真からは遊牧民であるその女性自身がにじみ出ているようでした。その写真を見たとき私は、ハッとしました。
私はこの女性のことを何も知らない。。。

チャネリングとか、精神世界とかは、宇宙や神や宇宙人や多次元、愛、未来、過去、自分の深層心理など、時に深く、時に広く見つめているように一見思ってしまいますが、、、やはり実はそうじゃない。私たちは同じ地球人のこと、日本人のこと、家族のこと、自分のこと、、、、わかってない。わかってないのに、わかってないこと、うまくいかない現実、、、などから生じる心の穴を埋めるために宇宙やら神やら陰謀論やらチャネリングやら精神世界やら、、、、にふれることにより、わかってるような気持ちに無意識になっている。。。。。無意識に自分を慰めている。。。もちろん探究心というものはあるのですが。。。
しかし注意しないといけないのは、現実と宇宙と自分とのかかわりや、繋がりのスケール感覚が狂ってくるんです。見えてないのに見えているような気になってくる。

宇宙を感じたければ、目の前の物や事や環境をよく観察すれば、かなりの事が観えてくる。。。感知できる。
宇宙話は宇宙から逃げるためにあるわけじゃない。今が宇宙なのです。
そのセンスなくして宇宙を論じても全く無意味なのです。
精神世界でも「今ここ」とはいいますが、その実感のセンス、感知するするセンスは磨かれないと育たないのです。
そしてこの宇宙は現象を発露するしか表現方法を持っていません。真理も現実も発露されて真理であり現実なのです。

。。。というような、感じのことを一瞬に受けるわけです。。。。本屋の立ち読みで。。。

『そうじゃ、今生きておる今。。。それが宇宙そのものじゃ。それを忘れぬことじゃ。
そのうえで、隣人であれ、自分自身であれ見つめることじゃ。
多次元であるレイヤーを重ねあわせ今として感知する。意識があちらこちらにふらつかぬこと。。。
それが超現実主義じゃ。』