私は一年をとおして水田のある景色をみるのが好きです。
田舎育ちということもあり、慣れ親しんだというのもあるでしょうが、
昔ながらのあまりコンクリートなどで整備されていないいわゆる 田んぼの景色 は人間の手がかかりながらも微生物の住む環境をつくりあげ、ある意味 自然と調和した姿 だと思います。

塩爺
『水田による稲作は古代プレアデスからもたらされた。
おぬしもよく聞くように米というものは、一粒からの生産性、ただ栄養というわけではなく食した際のエネルギー効果、、、と他の植物と比べて特筆する性質がある。なぜならば、米のエネルギーは光の特性に近いものがあるからじゃ。』

『実は田による稲作は人間であるから可能ということもある。
人間は環境適応型であるが、環境を作りあげる力がある。
それには、文字どうりクワで大地を開墾する、、という力作業ということではなく、エネルギー的に環境を変化させる力があるということじゃ。』

『だからこそ無節操な意識でおると地球環境への影響が甚大になるのじゃ。
その辺りもよく気を付ける必要はあるのじゃ。
まあ、この環境に及ぼす力は個々によって差はある。
ぬしはわかっておるじゃろう?』

ええ、、、私がかかわる土地や人に何らかの変化が起きたりよくしますからね。あと阪神でも東北でも災害のあった土地に災害の前後に縁ができたりする。それでいて私自身は直には震災に合わないという。。。。でもそれは私が変化させたんじゃなくて、変化する予定のものの背中をちょっと押すくらい、もしくは変化するところや人に私が引き寄せられる。。。そして、変化の結果がでるのは私が関わっているときというよりも、土地や人と離れる少し前か離れてちょっと落ち着いたときくらい。さらに私自身はその変化とかどうなるかなんてわからない。。。

『おぬしの場合は、その場や人に意識、無意識にエネルギーをそそぐ。場が動く活性化する、変化する。役割が終わればおぬしの興味がなくなるか、その場を自然と離れることになる。
そういう、役割を持つものは他にもおるのじゃ。ただこの世におるだけで、変化を起こす。。。』

でも変化が良い方向なのか、悪い方向なのかはわかりません。ただ背中を押すだけですし、
いちいちそんなこと意識してやってませんし。だいたいテンテコマイ。。。って感じですよ。。

『いや、それは気にしなくても良い、一時的に悪く見えても、それは好転反応のようなものじゃ。』

そうですかね。
あと、無意識にそのあたり察知するする人っていますよ。だから、うまく利用してやろうって人もいる。。。こちらも知らないふりしてますけど、そういう意識の人はどんなに口ぶりや素振りをよくしてもすぐわかる。「この人嘘ついてるな。。。」って。

『それはおぬしのエネルギーに対する敏感さも関係しておるの。』

ええ、それはあると思います。
なんの話でしたっけ?私の話はおいておいて、、、どうしても出かけさせようとする方向になっているような。。。

そう、近くの大きな公園をみていても、うっそうとして薄暗いところも、人が適正に手をかけ風をとおし、光をあたえると、次第に週末には家族つれが集う場所に変化している。。。そんな光景や水田の景色、落葉樹による雑木林、竹林、、、などみていて、人間の環境をつくる能力は、これからの宇宙でもっと生かされていくんだろうなと思うのです。もちろんもっと高い技術をもって。
おそらく、文明もなにもない荒野のような辺境に出向くこともあるだろうし、まったく新しい宇宙をつくるのにも力を発揮できるだろうと。。。随分と大きな話ですが。。。。

なんというか、人間に何ができるのだろうか?どうなっていきたいのか?どう宇宙とかかわっていくのか?って考えたとき、まず思いついたのは、そんなところなんです。

『よいのじゃ、意識すれば能力は伸びる。可能性は開く。人間が自ら前を向くということは大切なことじゃよ。』

まあ、難しい話より、金木犀の香り、果物、野菜、、のんびり実りの秋のほうがいいです~。


『のんびりはできぬであろうな。。。。』


涙。。。