一昨日の寄り道の美術館

平山さんの絵の他に仏像の展示があります
最初に造られた仏像は、ギリシャの若者の顔でした
仏像の顔は、奈良の大仏さんの顔ばかりと思ってたので、ギリシャとは...私が無知なだけか

顔形に違いはあっても仏像が在る意味は変わらない

~パンフレットより~
平山さんの絵は、砂漠やラクダを描いた大作や、小さなスケッチまでさまざま
改めて、絵は描き手の心情を写すんだと感じる
母に親戚の訃報を知らせ、残された者は生きる義務があるんだよ、と手を握った
一人二人と、周りが淋しくなる中で、どんな言葉が効くのだろう
昨日、無事に退院して施設に戻った母が、久しぶりのテレビで広島の被害を知り、開かない目を一生懸命開こうとしていた
取って付けた言葉は要らなかったのかもしれない
親戚は80才、脳梗塞で辛い最期だった様で、通夜も葬儀も皆の涙を誘う喪主の挨拶だった

父を思う
最期には会えなかったけど、眠ったまま逝ったのだから痛みの辛さは無かっただろう
今も本人は夢の中かもしれないね
通夜の夜、ホテルで一人精進落とし

通夜の祭壇にも真澄が供えてあったし、父と呑むのも真澄だった
私は真澄で育ったようなものだ
式場で、何十年ぶりに会った親戚もいて、こんな場所で会うなんてと、否応なしに自分の年を思い知る
それでもまだ残ってるのだから、尽きるまで頑張らないと!
残った者が残す、そのためにも。