去年の今日、弟のお嫁さんが亡くなった。


ちょうど、双子の大阪に着いた土曜日の夜に

危篤の連絡が入り、

とんぼ返りで実家近くの病院へ。


深夜に面会した時は、下顎呼吸…

10分居て実家で夜明かし。


明け方だったかな?姪から臨終報告を受ける。


あの時、枕元で声をかけようとしたら

弟に拒絶されたな…

私が来てること=死が近いと覚る?

最期に声もかけさせてもらえないの?


足元から様子をみて、

氷のように冷たい手をにぎり…

声には出さず、

『今までよく頑張ったね。大丈夫、

こわくないよ。お父さんがお迎えに来て

くれるはず。しんどいね。ありがとうね。』

と、心で伝えた。


間に合って良かった!


弟は、早く帰れオーラだし

甥はソファーで寝てる。

姪も、足元でただただ座ってた。


誰も、顔のまわりで看とる気合いも

優しさもなかった。

追い出されるように病室をあとにした。


そのあとの、葬儀おわりまで弟に

こきつかわれ、心身ともにしんどかった。


でも、黙って『できること』ならと

ベストをつくした。


なんなんだろう?

弟のそのズレた感覚…。

1年経った今も、いろんなことでズレたまんま。

まだ若い伴侶を亡くしたことは辛いし

理解もできるけど、

★まわりが見えていない。

★両親を大事にしない。

★自分たちさえよければいい。


★は、嫁さまが生きていたときから変わらない。


1周忌の連絡もくれなかった。

「あれ?伝えてなかった?」

知らなかったよ?予定あったよ?


前の日に来い?無理…子供会の総会が夜だよ。


準備にさえ、呼びつける弟。

わかるけど、理解不能。


1周忌法要のあと、お坊さんに

とんちんかんな質問した姪。

お坊さんから思っていた答えじゃなかったから?

弟と盛り下がる弟一家。


「お母さんはいま、どこでどんな感じですか?」


お坊さんは、『六道輪廻』のお話を

してくださったのだが、

弟と姪は、気に入らなかったらしく

あとで、ぶつぶつ言っていた。


いやいやいやいや…

死んだ先のこと、そこまで知りたいか?


無事に成仏できて、仏の道を歩んでいると

『信じる』ことが、ご供養じゃないの?


自分の両親を粗末に扱い←弟

自分の義両親を粗末に扱い←嫁

私が実家に行くと

母とふたりでこそこそ嫁の悪口を言うと

弟に泣いて訴える嫁さま

あとで、弟に怒られる母


母から、『ふたりで話すときは

大きな声で(内容わかるように)して』と

何度も言われた…。


ごめんけど、嫁さまの目前で

悪口なんか言ったことないし、

言っていると思われる事自体、憤慨だよ!


嫁さまは、常にボス待遇、

食事療法←母が調理←これがまた諸々気を遣う


姪が家を建てたら

そこに部屋をもらって住み始め

あちらこちらでVIP待遇。

甘やかしな弟…病は治ると思ってた弟たち。


乳ガン発病から、丸12年。

転移はあったものの、3年前くらいから

数値が急激に悪くなった。

そしていきなりの急変により余命3ヶ月と宣告。

宣告すら、弟は拒絶。

私が代わりに聞いた。

その余命通りとなった。


私は、『感謝』の欠けていたことこそが

運命を変えたのではないかと思う。

(嫁さまの場合なので、誤解なさらず)


亡くなった嫁さまのことを考えると、

思い残すことがたくさんあっただろうと思う。


でも、最期の意識下で

「死にたくない!死にたくない!」と

猛攻した事実には、泣けた。


悲しい事実が、そこに残ってしまった。


本当の彼女は、素直でいい人なのだと思ってた。

けれど、対すると胸がモヤモヤしてた。

病気が発覚して一緒に泣いた。


何年か経つと、素直よりモヤモヤが勝った。

人は変わるけど、変わらない人もいた。


今は、嫌な思い出は胸の蓋から出てこなくなった。

(子供たちはなぜか、強烈に覚えたまんまだが)


甥や姪のことも、なにかしら手助けに

なればいいかな?と思う。

両親のことも、弟を助けたいと思う。


1年、亡くなってから

どんな冥土を歩んでいるのかな?


みんないく道、いつかまた、

会えたらいいな。