アラン著 古賀照一訳 「3」 白水社

 

感情・情念・表徴

 

第73章 ロンド

 

何事も公平であることが正しい思想を生む。

 

握手する互いの手の力加減が、二つの力を等しくする。

 

またファランドール・ロンドのように、

 

円になって手を握り合う踊りにもすべて踊り子は平等である。

 

ピタゴラス学派が言ったように「円がもっとも公平なカーブだ」と言った。

 

楕円形は不公平だと。

 

なぜなら両端に力を入れる暴君がいるからだ。

 

公平ではなくなる。

 

歩兵隊が縦列で歩く直線や蛇のように蛇行する直線は、

 

「君主制国家」のようである。

 

人間は心臓・肺・胃袋という名の猛りつけものに絶えず服従するように

 

どんな世の中になっても変わらない。変わらはない。

 

どんなに科学が産業が発展しても、ハンドルを握る人間が野蛮人であれば野蛮人なのである。

 

人間の思想は進歩するに従って、

 

舞踏のように円を作るように、互いの力が平等になる。

 

釣り合いのとれた握手のように、平等にいられるように心がけなければならない。

 

作った鉄くずに支配されてもいけない。

 

思想は輪の丸い形である平等から思考されるのだ。

 

力のある人の細やかな工夫が見かけ以上に必要なのだ。

 

 

 

2025年7月19日

三重県三杉パークゴルフキャンプスペース

2025年7月19日

三重県三杉パークゴルフキャンプスペース

 

アラン著 古賀照一訳 「3」 白水社

 

感情・情念・表徴

 

第72章 儀 式

 

人間の行動・動作・所作は外面を真似ることによって内面を築き上げていく法則がある。

 

服装(職業別のユニフォーム)はその保証として精神をその気にさせ

 

行動もそのようになり、周りからもそう見られる。

 

その職業にあった行動となるものだ。

 

しかし精神は外面だけ表徴されるものではない。

 

バス運転手のように機械を統御する能力があるように、

 

事物をコントロールすることが出来る人間のように、

 

慎重さがわが身をコントロールする。

 

人間何か事が起こると、我を忘れて精神を乱すが、

 

このように何かことが起こったとき、

 

自分にブレーキをかけることが必要である。

 

それも心の中、精神的なユニフォームなのである。

 

またそれが本当の所作なのである。(内面・内側)

 

表面にいくら威厳があっても内面のコントロールがなければ

 

真のプロではないのだ




2025年7月12日岐阜県一色の森キャンプ場にて


2025年7月12日岐阜県一色の森キャンプ場にて

 

 

アラン著 古賀照一訳 「3」 白水社

 

感情・情念・表徴

 

第71章 モード(形式・儀式・方法)

 

万人が共通の服装などの形式は、彼女の感情・コケットリー・欲望・情動の表情を隠す。

 

表出させず、慣習のカーテンの中に閉じこもるように身を隠す避難所である。

 

これが人間の「礼儀」でもある。

 

あらゆる感情の生命は繊細である。

 

世間なみに外側を飾り立て、内側を用心深くし、

 

美しさを隠そうとするのである。

 

会話での共通の話題などのように礼儀である。

 

弁舌家がありきたりの言葉しか話さないのは、

 

過度の表現は人々の心の動揺を恐れるからで、

 

詩人がそうするのは言葉の力を抑えて永続的な効果を求めるからである。

 

ある意味そうすることで、人の気持ちを引き付けることが礼儀なのだ。

 

画一的な服装・態度・言葉・会話は常識とし礼儀である。

 

礼儀は人間のもつ「身もだえ」と「傲慢」の二つの思考をコントロールする





2025年6月28日長野県桑原キャンプ場にて

2025年6月28日長野県桑原キャンプ場にて

 

 

アラン著 古賀照一訳 「3」 白水社

 

感情・情念・表徴

 

第70章  ブルターニュ帽 

 

服装は海岸が海を縁取るように

 

顔を縁取っているにすぎない。

 

冠物は道具ではなくいわば一個の信条である。

 

1種の城壁が服装であって思考を守る。

 

政治思想を保持し想念を家徴する。

 

万物を支配するのは目の光である。

 

服装ではない

 

 

 

服装が想念である

 

海水浴の客の脱ぎ捨てた甲羅が道路の脇で待っている

 

自動車である。

 

これは商標をくっつけた奇妙ないわしの缶詰である。

 

捨てられた理念のように醜悪である。

 

着物を着た人間とは何という動物であることか!

 

服装は海岸が海を縁取るように、顔を縁取っているいるにすぎない。

 

万物を支配するのはその眼の光である。

 

冠物は道具ではなくいわば一個の信条だからである。

 

私は川のこちら岸に生まれたのでこう考えてああは考えない。

 

そんなふうに思考を守る一種の城壁が服装なのである。

 

人間は驚きがするが感嘆することの出来ない想念がある。

 

なぜ人は自分の信条に固執するのかと問うのは

 

心情というものの取り違えである。





 2025年6月22日

木曽御岳山 剣ヶ峰 柳叉ビューポイントから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アラン著 古賀照一訳 「3」 白水社

 

感情・情念・表徴

 

第69章  服 装 

 

いつの時代にあっても人間は、人間の運ぶもの人間を曳くものの奴隷である。

 

鉄製の駿馬(鉄の衣服・鉄のコルセット・ニス塗りの枠・自動車のクッションの上

 

馬の上の将軍のように、外交官の学校である舞踏のように)には安心して乗っていられない。

 

なぜならば自由な身振りが許されなくなり、

 

身振りを抑制され想像の力・創意・自分の思考・情念を制御するからだ。

 

真面目な人間はこのように「鉄の王冠をつけているのと同じだからだ」

 

外交官のように・・・

 

だからルソーは徒歩で自由な服装で旅(散歩)をしたのだ。

 

ただならぬ起伏を持つ地形の中で生きて

 

目を絶えず障害物に注ぎ独り言に決断しまた一歩ごとに考えるこの人物は理念の猟人である




5月10日三重県津市美杉パークゴルフキャンプスペース


5月10日三重県津市美杉パークゴルフキャンプスペース


5月10日三重県津市美杉パークゴルフキャンプスペース

 

 

アラン著 古賀照一訳 「3」 白水社

 

感情・情念・表徴

 

第68章  詩と音楽と舞踏 

 

美しい詩句は自在な力と浸透・内部の襞の開花を誘う働きをもつ。

 

しかし「耳のために作る詩」は外部の規整の働きであって、

 

体の奥の動きではない。

 

音楽も同じで端役の楽器が演じ、騒音を奏でるような耳障りの意味は、

 

鍵盤を痛めているにすぎない。

 

舞踏を目に訴えるような珍奇な人目を引こうとするだけの動きは、違和感を与える。

 

繊細で体の総意に応えて動く衣装の襞は内的な衣装の表徴である。

 

抑制される感動(詩)・内部に感じる動作(舞踏)・内奥の音の階調(音楽)が

 

人間を外部から内部へと導かれていくのである。

 

こういった想念が内部から酔わせる魅力を知り、揺り動かす感動がある。

 

だから硬直した緊張した病人に対しては、このような崇高さは優しい涙を滲ませることとなるのだ。

 

深くて強い医術である。

 

外的規制は表面の姿。

 

そして内的規制は心の中にある真実な想念。

 

つまり人間の崇高さが人を感動させるのだ。

 

単純に良い響きの言葉・耳に心地よいメロディ。

 

目に楽しむダンスだけでは芸術とは言わない。

 

心の中に真の感動がなく表面的な外部の規整にすぎないからだ。




2025年5月4日秩父市 おがの化石館


2025年5月4日秩父市 浦山口キャンプ場

 

 

 

 

アラン著 古賀照一訳 「3」 白水社

 

感情・情念・表徴

 

第67章  舞 踏 

 

人間の時折見る「焦燥」「不決断」(理性の無い自分勝手な考え方、一方的な考え方)

 

「情熱家」(一心に自分の考えを押し通そうとする周りが見えない)

 

こういう思想を持つ生き方は不適切である。

 

情念の病である心の動揺である。

 

人間世界で共通規制されている常識ある「言葉」は

 

自己と相手の調和する手段である。

 

互いに信頼を築きあう心のこもった生き方は、正しい相手への敬意と認識が必要で、

 

常識ある態度・言動で「秩序」が想念を形成するのである。

 

自我で抑制する行動ではなく情念を強化することである。

 

焦燥は情念の病である。

 

明らかに舞踏(ダンス)は一切の情念を強化する。

 

自分の体のうちに震えや動揺を覚えること。

 

つまり発動が絶えず抑制されるのを感じることほど人間にとっていけないことはない。

 

デカルトは「不決断はこの世における最悪の状態である」といった。

 

情熱家とは理屈道理に動きたがる人間のことである。

 

プラトンは理屈ではなしに体操や音楽に熱中するならば、また身もだえする代わりに

 

自分の筋肉を形態に従い力に応じて鍛えるならば、

 

情熱家は若い想念から見事に解き放てるであろう。

 

舞踏は人間に全精神を集中させる。

 

自分と相手の双方への注意。

 

自分と相手の双方が交わす応答。

 

これが言語である。共通の規制であって秩序であるのだ。

 



2025年4月25日越前海岸



 2025年4月25日越前海岸

 

 

 

 

アラン著 古賀照一訳 「3」 白水社

 

感情・情念・表徴

 

第66章  俳 優 

 

演劇は自己・感情を鍛える学校である。

 

デカルトの命題として

 

「心象とは人間の肉体の愛着が生んだものにほかならない」と言った。

 

実生活の中で人間のかわす言葉は情念として互いにぶつかり合う。

 

演劇にはシチュエーションがある。

 

つまり役者が動作する位置の範囲が規定されている。

 

実生活とは異なる。

 

実生活の私たちは態度と衝動は全て他人に依存し、

 

他人のあけてくれる道を通らざるを得ない。

 

演劇のように言葉よりも身振りを先行させ、

 

人間の肉体と共に内から生ずる情念を生んでやらなければならない。

 

そのための訓練として演劇を勉強することは大事である。

 

体を動かす身振り手振りによって感情・情念を鍛えるのだ。

 

 

2025年3月22日(愛知県:鳳来の森キャンプ場)

 

2025年3月22日(愛知県:鳳来の森キャンプ場)

 

 

アラン著 古賀照一訳 「3」 白水社

 

感情・情念・表徴

 

第65章  演 劇 

 

名優の行う身振りだけの演劇は言葉を使わずに、

 

身振りを規制コントロールして行っている。

 

外側の姿であるが内側の理由を見つけなければならない。

 

つまり「言葉」である。

 

外側は相手の身振りする動きを鏡として写る自分の姿ではあるが、

 

内側の言葉は自己の情動・感情つまり思考自ら調節することができる。

 

自分の身振りは他人の思考を表し、

 

自分の言葉は自分の思考ということになる。

 

したがって外側の現実(身振り・行動)に従われるのではなく、

 

発する言葉を重視し、その思考・思惟の表現を観察する。

 

しかし言葉は絶えず矯正される。

 

外側と規則の型を演劇では見せてくれるが、

 

実際の現実では「生身の血の通った言葉」が前提である。

 

 

2025年3月8日(志摩:磯部町海岸)

 

2025年3月8日(三重県:大滝峡キャンプ場)

アラン著 古賀照一訳 「3」 白水社

 

感情・情念・表徴

 

第64章  観客の勧誘

 

人間生きて行くためには、

 

物事に対して信じる事と疑うことを術として得なければならない。

 

何でもかんでも誠実である人は命取りとなる。

 

精神というものはそういうものである。

 

だから現実世界で生きて行くために

 

思想形成の学校として芝居を見て自分の省察を行い、

 

自分だったらどうするかどうなっているかを学び、

 

自分自身の主人としての「自覚」を育てるのである。

 

そして自己統御する術を学ぶのである

 

現実のドラマでは観客にはなれないからである。

 

生きることは想像ではないのだ。

 

想像力は激しい恐怖を生み出すものである。

 

人間の全生涯は恐怖に打ち勝つことで過ぎて行くからである。

 

自覚(自己制御)自分を観察できるのであれば、

 

ものを感じ取る力(術)(信じる術と疑う術)を使って生きていける。

 

その術を身につける方法は芝居見物という学校で学ぶのだ!

 

 

   

2025年2月23.24

尾鷲梶賀町漁港、和歌山県(南紀串本リゾート大島)