雲がありますが、青空も見えている岩手県。
岩手山の雪もだいぶ溶けて、山肌が見えてきました。
クルマの窓からは、田植えが見えて、いつもの春の風景です。
盛岡近郊は、矢巾も含めて、だいぶ宅地開発が進み、
田畑が大きく減少しました。
毎年、思っていることですが、農業国の岩手が農業が出来なくなったら、
どうなるの?って。
農業を継ぐ人が居なくなり、農業だけでなく、食堂や工場も後継が問題となっています。
この先、どうなっていくのでしょうねぇ。。。。不安ばかり。。。
先行き不安なのは、誰もがそうなのですが、このコロナ騒動でダメ押しされている感じ。
この中でも、いつもと変わらず田植えの風景を見るとホッとします。
私も少しだけど田植えを手伝った時があり、稲刈りもしていました。
今はもう手植えの田植えや、手刈りの稲刈りは見られなくなり、
ご近所に手伝ってもらって、相互に協力しながらの農作業はなくなりました。
稲を天日干しする風景も無くなり、寂しく感じてしまいます。
機械化が進んで、無くなるものがありますが、もう見られない風景だと思うと、
残念だし、寂しい。
農家にしてみれば、生活するのに精いっぱいだから、重労働を軽減したいし、
効率的に農作物を収穫したいわけで、それは当然のことです。
日本の牧歌的な風景が無くなる。時代とともに風景が変わるのは仕方ないこと。
私が小学生だった風景とは、今は全然違うわけで、
昔を懐かしみたいのだけれど、その風景は今は無い。しょうがないか。
わずかに残った昔の風景を探しに出かけるのもいいですね。
今、手植えしている田んぼを見かけたら、クルマを止めて見入ってしまうかも。。。。うん。
変わらない風景というのは無いのだけれど、心の中には記憶として存在している。
いつかボケてしまって、その記憶も無くなってしまうかもしれないけど、
忘れたくない風景は写真に残したいですよね。
ただ、昔みたいにフィルムに焼くカメラではなく、今はスマホやデジカメだから、
ピンぼけを気にせずにバシバシ撮るわけです。
撮って安心する。後から見ることはない。
私もそんな写真ばっかりだなぁー。
やみくもに写真を撮っていると、周りから変な人に見られるし、
場合によっては不審人物として通報される世の中になりました。
整理していると、写真が出てくるわけですが、その写真はやっぱり捨てられない。
じゃあ、いつ捨てるんだろう。。。と思うのですが、誰か捨ててくれるでしょうね。何十年も経てば。
人生ってはかないですよね。しみじみ。。。。
時々、人生一度きり。精一杯、生きようと前のめりになるときがあるが、
現実問題、生きることに精一杯で、仕事して、疲れて、食べて、寝る。。。。を繰り返してしまう。
このサイクルの中に、充実した趣味を入れる時間が欲しいのだが、
睡眠を削ることになる。睡眠は大事。
じゃあ、仕事を削るか。。。。無理。生きていけない。
じゃあ食べる時間を削るか。。。と名案。
ところが食べる時間って、実は30分も無いわけで、まあ準備時間も入れれば1時間ぐらいか。
1時間を削って、やりたい音楽をやる。。。。のかぁ。。。。うーーーーーん。。。
まぁそれもいいかも。とにかく、コロナのおかげで家でやることを探しているわけだから、
なんでもかんでも、家にあるモノを引っ張り出して、かたっぱしから試してみるのだ。
そして、あらためて要るか要らないかを判断する。これって名案。捨てられる可能性がある。
家にジッとしていると、整理したくなる気分になってくるのも、コロナの良い影響と考えましょう。
さて、久しぶりに仕事が入ったので、がんばります。
うん。