風水はもともと中国古来の仙道五術の奥義です。
この奥義は森羅万象の過去から未来に至るまでを判断し、運を切り開いていくのに風水羅盤を用いて、王や帝王とその国家の安泰の為に使われていました。
はじめのうちは、国を守る為に主に軍策として利用されていました。
攻め入る軍はどこに陣をおけば効率が良いか、どこから攻めていけばよいか、またどこに城を築けば攻められにくいかなどを地理・方位などから判断していたのです。
国が安泰となってからは軍策だけでなく、このノウハウを使って、繁栄する都・国作りに応用され、次第にこの奥義の一端が庶民にまで広がり、家相や、個人の生まれた時間を元に個人の吉凶を判断するものとなっていったのです。

日本では、最近流行っている「陰陽師」がこの風水の奥義を会得しました。
陰陽師は、中国から伝来してきたこの奥義を踏まえ、暦を読み、国の祭事を司り、風水に基づいた都作りをしていました。
陰陽師は国の重要な地位を確立し発言そのものが国を左右していたのです。
ちなみに陰陽師は「国家公務員」でした。
平安京の碁盤の目のように整然としている都は、完璧に風水に基づき作られているのは有名です。
日本の歴史に風水が登場しているのは古く、邪馬台国の頃からと唱えている歴史学者もいるようですが、この辺は定かではありません。
定説では平安時代の頃と考えられています。

諸葛孔明(しょかつこうめい)は希代の風水師で、軍師となれば戦に勝ち、国主となれば国を適切な方向へ指導していきました。
日本では、徳川家康が博学で薬学などにも秀でていました。
そして、京から江戸に遷都した際、風水の教えに基づき都を作りました。
実際江戸城(現皇居)は風水上では理想の場所にあります。
また、家康が亡くなって日光東照宮にお祀りされていますが、ここも風水上大変パワーの流れている場所に位置しています。
江戸幕府が300年の長きに渡って安泰に続いたのも、同じく平安京が長く続いたのもこのような風水の良い影響があったからとされています。

宗教と風水

古来から宗教にはそれにまつわる思想・知識・哲学・美術などが一体となり発展しています。
例えば美術の発端は宗教=神仏を具象的に表現し、信仰の対象にする所から生まれています。
インドのアーユルベーダ(宗教哲学を基礎とし、体系づけられた民間医療)、各宗教のシャーマニズム(シャーマンと言う巫女のような存在が居て超自然的存在との直接的交流、例えば卜占・予言・治療,現状の変更などを行う宗教現象。巫俗(ふぞく)。巫術。)なども同様です。文化の発展の基礎はこの様に信仰が発端となっています。
風水も仙道が発端として出来た宗教哲学・思想から発生しています。
風水の中には古代中国思想である「陰陽五行説」から発生した「九星気学」も取り入れられました。
陰陽五行説とは、自然界全ては相対する陰陽で成り立っていると言う「陰陽説」と、自然界は木・火・土・金・水の5つの大気(五行)で成り立っていて、この五行の循環で世の中が成り立っていると言う「五行説」が融合し、体系づけられた思想です。
ここから発生した「九星気学」は、みなさんご存知の「一白水星」とか「ニ黒土星」など自然界の気を9つに分類したものです。主に暦に関わる部分ですね。
なお、道教は陰陽説が教義のベースとなっています。
このように宗教と思想は互いに融合しあい、枝分かれをし、体系づけられて行きました。
その中で、風水は時代を経るごとに独立したひとつの学問として成熟していったのです。

日本に古来から伝わる宗教は、もともと「森羅万象全てに神の魂が宿る」と言うものでした。
そこへ、大陸から伝わった古い宗教が元になり神道となりました。
神道は日本の国の宗教として発展し、その中でインドの仏教思想を含んだ大乗仏教が中国から伝来してきました。
同じように、仙道も伝来して来ました。この中で風水が取り入れられ陰陽師が操っていたのです。
恐らく、陰陽五行説の思想が既に取り入れられていた上で風水術思想が取り入れられたのでしょうか…。
国の宗教はあくまで神道ですが、仙道の風水を受け入れるなんて、昔はカテゴリー分けに拘らず良いところは吸収していたのですね。
その証拠に江戸時代は神社とお寺が一体になっている所や、神社に仏像が安置されていたりしました。
(明治時代にカテゴリー分けを強制的にやっているので今はない所が多いですが…)
ちなみに仙道は、道教と共にその後日本では山岳信仰の元になっています。
また、この様によいところはおおらかに受け入れ、日本独自に発展をした文化の中の風水は、「家相」として残っていますね。厳密には風水で言う家相とは異なっています。



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