最近知り合いのホストがね、言いますの。
もえちゃんは、ヤバイ。
あっちでもこっちでも、男が口を揃えてもえちゃん、もえちゃん言うてますの。
誰なん、そいつ、中洲交番前のファミリーマートでタバコに火をつけてもらいながら聞くと、どうももえちゃんていう女の子は、どっかの店の客ではないらしい。ヤバい、というから、てっきりあちこちで恋のお花咲かせたお花畑の、ホスト狂いの豪遊女かと思ってたら、全然違うかった。
かといって、男達をとんでもなく惹きつける、枕のホステス嬢や超絶技巧の風俗嬢、ってわけでもないらしい。話を聞くとなんとその子、ここらではちとばかし名門の大学に通ってる、女子大生らしいの。夜の女でもない、金を落とす客でもない女子大生の名前が、どうしてこうも中洲の男たちの話題になってるのか。聞くと、もえちゃんは可愛いんだよ、とにかくヤベェんだよ、とどこに行っても馬鹿の一つ覚えのように皆それしか言わない。
ううん、百聞は一見にしかず、そこまで言うならちょっと、顔見せて、写メあるやろ。いいよ。ホントに可愛いよ。
見たら本当に可愛い。まさしく、女の子って感じ。
まず名前がもえちゃんでしょ。その時点で女の子っぽくて可愛いでしょ、なんか。で、見た目も絵に描いたような、かわいらしい女の子。名門大学生。もえちゃんまさに萌え。アホちゃうん。て似非関西弁がでてまうわ。
芳田もえ、彼女はショートカットのよく似合う女の子だった。
歳は、私と同じ19歳と言う男もいれば、確か20だった、と言う男もいた。
黒髪で、色白で、いかにも愛されて育ったお嬢様っぽくて、こんな中洲のど真ん中で夜を迎えて、太陽の下を歩くのが申し訳なくなってきた私とはおそらく正反対の道を歩んできたであろう、芳田もえは、この川の横の汚い繁華街で、今1番アツイ有名人だった。
このタイプならウチの店きっての清楚系アイカも負けてないんじゃないの。
「いや、アホか、ちげぇよ。アイカと一緒にすんなよ、あの清楚系ビッチともえちゃんは違うんだよ。てか、どちらかというと、そうだな。もえちゃんは、ユリカ、お前に似てるな。ま、もえちゃんを汚くして、髪を明るくして落ちぶれたギャルみたいにしたらお前だな。」
はっ。何がもえちゃんだよ。てっきり客だから、ちゃん付けしてるのかと思ってたら愛称がもえちゃんですか。こらいけませんわ。
そんで、もえちゃんが何であんたらみたいな男からよってたかって崇拝されているわけです、と聞くと、よく知らないけど、すごいかわいいし。
だの、
営業男のオアシス。
だの、
広瀬すずに似とるわ。
だの、情報に踊らされて浮ついた意見しかでてこない。
福岡の町も少しずつ肌寒くなってきて、いつもラストまでいてくれるお客さんのたっくんが、今日の同伴は、ちょっと良いおでん屋でも行くか。と西の方へ連れて行ってくれた。私はたっくんに、もえちゃんって、いう女の子、知ってる?と聞いてみた。
ああ、その子知っているよ。彼女、ふうふう、あのねアプリ作ってるんだよ、ホストのためのね。そのアプリに連絡先が載っていて、可愛いの。今まで一度も聞いたことのない彼女の新しい情報をペラペラと喋り始めたのは、おでんのすり身をはふはふ食べていたたっくんではなく、たっくんの横に座っていた20代前半くらいの若いサラリーマンだった。
す、す、すごい。私と同じ歳なのに、大学生にもなるとアプリをつくったりしちゃうわけ。私には無理だな。
キャバ嬢にも必需アプリがあるけどそういうのかな。顧客リストに来店日とか、入れてくれた酒とか、好きな食べ物や、趣味なんかを記録するようなやつ。しかし、またなんで、ホストのアプリ。
そのアプリ知っていますか?と尋ねると、さぁ、名前は知らないねえ、と言う。
たっくんは、おでんを食べ終え、汗を拭きながら、若いサラリーマンをきっと睨み、じゃ、勘定、ユリカちゃん、店行こう、ささ、行こと立ち上がった。
ホストだけじゃない、街のサラリーマンも芳田もえを、知っていた。
それからはお客さんや、店のボーイさんや、とにかく色んな人にあたってみたけれど、誰に聞いても、あまり俺も知らねえんだよ、とにかくさ、もえちゃん可愛いんだよ、と似たような返事ばかりが返ってきたのであった。
芳田もえという、一人の得体の知れぬ女子大生の噂が、こうして人から人へと街を練り歩こうとも、夕暮れ時、中洲の美容室に集まる私の知り合いは皆、タバコを片手に余裕の息をついていた。
ふう、また今日が始まった、ところで先日店に来たあの変態親父、財界九州に載ってはった、この人こんな立派なこと言うてるけど女のケツばっか追いかけてるんですよお。声を荒げて言いたいわ。あはは。あ、お姉さん灰皿ちょうだい。
その余裕もそのはず、芳田もえがどれだけこの街を騒がしていたとしても、この街を彩って踊る私たち女性陣がそこまで関心を持たなかったのは、芳田もえが夜の女ではないという事実に他ならなかった。
中洲の女達は、芳田もえがどれだけ魅力的かを口伝いに知っていて、自分の担当客までもが彼女の噂を追い始めることに対して、多少の興味は抱けども、これといった焦燥は感じなかった。土俵違いの店や女に、客は取られない。私たちは同業以外の女に、目をみはることはない。戦うべきは、そいつではない。
私もその一人だった。
はずだった。あの日までは。
薄暗く眠っていた中洲が、息をし始める午後6時、髪を整えた美しい女達が、街の光に染まって色とりどりのコンクリートをカツカツ足で鳴らした。
うなぎの焼ける、たれの美味しい匂いをふわっと掻き分けて、私もこの街を歩いている。
コンビニには、タバコとコーヒーを買う派手な男女の姿があった。その後ろで、スーツの男が2種類のストッキングをじいっと見比べている。コンビニの先では、髪の明るい花屋の店員が、大きな胡蝶蘭を抱えて慌ただしく店を飛び出している。化粧を施した男が、集団でタバコを吸う。
この街は、今が朝の通勤時間だ。
コンビニを過ぎ、花屋を過ぎ、眩しいくらいの電光掲示板を過ぎて、右手のところにある、この街ではそこそこ名の知れているキャバクラ、あづ紗。
その店で、私、本城優花こと、ユリカは働いている。
源氏名は本名である優と花の間に凛という文字を入れて優凛花、としようとしていたところを、店長からこういうのは、カタカナの方が覚えてもらえるから、うちはカタカナ統一なんだ、と名刺を書き換えられてしまった。気に入っていたのに。
私は17歳の時、父親と二人で住んでいた家を飛び出した。一人暮らしをしていた当時22歳の彼氏の家に転がり込むやいなや、廃人のような生活を送っていた。通っていた高校の在籍が、どうなったのかは、よく分からなかった。
一日21時間はベットの上で寝転び、起きた残りの3時間で家のカップヌードルを食べ、彼氏のパソコンからツイッターを開いて適当に弄り、また21時間寝るという大変人間離れをした怠惰を繰り返しているうちに、足の筋肉なんかはすっかり衰えて自分でもギョッとするくらい細くなった。ろくなものを口にせず、彼氏とのセックス以外これといった運動もせず、このままじゃいけないな、犬も歩けばなんとやらというし、と外にでると免疫が落ちていたのか風邪をひいた。そんな時に彼氏が三ヶ月帰らず、1人でうんうんとうなされ、外なんか出るもんじゃないと適当なものを食ったり飲んだりを繰り返したある日、部屋の電気が止まっていたことに気づいた。
いつから止まっていたのか正直なところさっぱりわからなかった。彼氏は三ヶ月家に帰ってこなかったし、私はその間起き上がるのが面倒くさくて電気をつけることもなかったので、冷蔵庫の異臭が鼻について悪夢にうなされるまで、そのことに気がつかなかったのだ。冷蔵庫の中身が腐っていた。お湯は沸かせていたから気づかなかった。まさか電気が止まってたなんて。
電気が止まったことにも気づかないなんて、これは我ながらやばいな、やってもうた、酷いにおい。泣きそう。 冷蔵庫の中身を涙目で捨てているところへ、最悪のタイミングで数ヶ月ぶりに彼氏が帰ってきた。
「お前、今すぐ風呂に入って、働け」と、タバコの煙と吐かれてからが、ことの始まり。
携帯で求人を調べていて、一番にでてきた高額時給の募集のひとつが、あづ紗だった。既に高校を卒業したと嘘をついて体験入店をしてから、そのまま二年間この店にいる。
店長にはバレていたのかいないのか、13歳から鍛えた肝臓を駆使して仕事を週に6日いれた。18を迎え、19になった私は今現在お店の設定上20ということになっているので、誕生日の「ユリカ成人おめでとうパーティ」を境に、最近は遠慮なく飲まされる。若さ相応にしていれば、他のキャストのように、帰れないほど飲まされるようなことはないけれど、悲しいかなこの歳にして酒ヤケしてしまって、酷い。
まあ、こんな生活でも、数年前と比べたらずっとずっとマシで、毎日が幸せだった。
______
↓↓ アイドル1.2
(ボツ)
私は幼い頃からずっと父と2人で、今思えば本当にどうしようもない生活を送ってきた。
母の顔は見たことがなかった。
料理なんかロクにしたことはないし、包丁の握り方も、小学生の頃に一度や二度触ったくらいで忘れてしまった。生活習慣はまるで男のそれそのものだった。
この歳になって、世の一般女性は母親からこの素晴らしい人生をやり抜くに当たって、とても多くの大事なことを教わっていることを思い知った。母親がいない娘は、じゃあ、どうしたらいいんだろう。
深夜家を抜け出してどこに行こうが咎められなかったけれど、家に帰るとき、私があの家の玄関を開けた瞬間、むせ返るほどの酒の匂いがしたら、それは地獄の始まりの合図だった。
あの匂いがする日は、父は狂った。
見つかった途端、痣が残るほど強く掴まれ、引き摺り回され、腹部を何度も蹴られた。
痛くて、怖くて、それでもじっと耐えるのが一番穏便に済む手段だと気づいてからは、襲い来る痛みの前にグッと歯をくいしばって、意識を自分の遠くに持っていくように、ただジッと耐えて、耐えて、耐えていた。
毎日家の玄関の前で、震えていた。
2年前のある日、私はあの日、いつも以上に玄関の扉を開けられずにいた。
きっと、今から来るであろう恐ろしい出来事に、第六感がきちんと私に警告していたんだろう。
今日は、この扉を開けてはいけない気がする。
でも、他に帰る場所なんて、ないんだから。今日はあの匂いはしない...今日はきっと、静かに眠れる...大丈夫。そう言い聞かせて、震える手でドアノブを回した。
そっとドアを開けた瞬間、鼻についたのは、あの匂いではなかった。
いつもと違う匂い。
鼻腔に浸入したその刺激臭が何か考える前に、私の中で最大の警報が鳴り響いた。
確実に、やばい、と思った。
逃げろ!
逃げろ!
早く逃げろ!!!
身体中が訴えている初めての警告だった。今から襲ってくる何かから、今すぐ逃げなくてはいけないと分かっているのに、足が、手がガクガクと震えてまるで筋肉が私の知らない別の物質になってしまったようだった。暗い部屋に何か動く影が見えた。身体が見えない大きな何かに捕まって動けなかった。大きな怒鳴り声と、何かの割れる音が聞こえた。
逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ!
「優花。帰ってきたんか。こっちに来い。優花。優花。優花!!!!」
足が動いた時にはもう遅かった。
玄関の扉近くまで向かってきた父に私は羽交い締めされ、首を腕に回され、締め上げられた。玄関の扉は開いたままだ。
苦しいやろ、苦しいやろ。はは。ははは、苦しめ。あの女の代わりに苦しめ。死ね。死ね。涙がボロボロでて、間違いなく、今日が命日になる、と悟った。痛みや苦しみよりも、白の世界が私を支配した。何もかも真っ白だった。気づいたら、私の顔を何度も何度も殴る父親の姿を見上げていた。骨が私の身体の中でゴリゴリいう音が何度もした。脳に響いた。白かった世界がどんどん赤くなった。痛い!怖い。だれか。だれか助けて。
今日だけは、このまま耐えて、耐えて、じっとしていては駄目だと思った。朧げな頭で、それだけは確信していた。このままでは死んでしまうことを細胞の一つ一つが叫びながら私に教えてくれていた。助けて!誰か!助けて!
その時だった。何してるんだ!という男の声がした。一瞬、父の腕が止まって私の顔は忘れていたように強烈な痛みを訴え始めた。殴られていたのは顔だったのに、脳が千切れるくらい痛かった。誰か、男の人の足が見えた。その後は、もう真っ暗。あまりよく覚えていない。
後から知ったのは、私はアパートの前を通りかかり、大きな音を聞きつけた斎藤佑一という男から発見され、たまたま奇跡的に助けられたこと。
危険を察知した斎藤佑一は、警察を呼んでいたため、父は警察に連行され、私は病院に搬送された。
私は目が覚めた時には病院にいた。鼻の骨が、バラバラに折れていたそうだ。口をちょっとでも動かすと激痛がした。不幸中の幸いか、お腹がすかず、物を食べる気にはならなかった。
警察や大人の女性が毎日部屋に来るようになった。大人たちは紙とペンを持って私にたくさんのことを聞いてきた。私が何か言うたびにペンを走らせていた。もうこれ以上話すのは嫌だとこぼすと彼女たちは了承した。彼女たちは、あなたを守るために、あなたのことを知る必要があるから、また来るからね。と優しく言った。
ふざけんな、一生来んな、こんな歪んだ鼻じゃ外も歩けない、私の人生は、もう終わった、何で、あの時死ななかったんだ、何で死ななかったんだ、今からでも死にたい、これから、どうしたらいいんだろう、不安になっては毎日叫んだ。叫んで暴れるたびに、大人たちはよく来るようになって、ここを出たら、優花ちゃんと同じ思いをした女の子がいる、優花ちゃんを分かってくれる人のいるところに行くから安心してね。大丈夫だよ。と言った。
そんなところに行くなら、死んだ方が、あの家に帰る方がよっぽどマシだと思った。
今日こそ病院から抜けだしてやろう、でも、一体どこへ。うんと遠くに行ってやろうと思った。ずっとずっと遠いどこかへ。病院の売店で読めない地図を読んでいたら、後ろから声をかけられた。
「こんなところでなにしてるの。もう大丈夫なの」
黒髪の男だった。背が高くて、ヒゲが生えていた。鼻を隠すように手で顔を覆いながら、私は痛みを堪えて、口を開いた。
「誰ですか」
「俺、斎藤佑一。警察から聞いてるだろ。君の様子を見に来た。君がその、色々あったときに居合わせていて、警察を呼んで、止めたんだ」
「聞きました」
安心した顔が、苛立たしかった。今までどこに向けたらいいかわからなかった苛立ちが、急に込み上げて溢れ出した。
「よく止めてくれましたね。一生、貴方を恨みますから。私、全然大丈夫じゃありません。貴方のせいで全然大丈夫じゃありません。貴方が余計なことしなければ、きっと今頃ちゃんと殺されてました。今頃...」
そこまで言って、あの日から出なかった涙がボロボロと溢れて来た。
「私、どうしよう」
斎藤佑一は、私の目をしっかりと見てこう言った。
どこにも行けないなら、いつでも来い。お前がいていい場所を作っておく。
渡された住所と電話番号を私は病室に帰ってからもずっと眺めていた。眺め続けて、30分、頭の中に入った数字はぐるぐる回り続けた。
1週間考え続けて、私は斎藤佑一に、公衆電話から電話をかけることにした。自分でも何を言うつもりなのか検討もつかなかった。不安だった。ただ彼の声を聞けば何かがわかる気がした。3回目のコールで電話をとった彼は、優花です、と告げた私にいきなりこう言った。
「鼻、気になるなら、整形手術を受けろ、金出すから」
あの日、病院の売店で声をかけてきた男が、私の人生を変えた。私のあの出来事は、整形手術を受けて綺麗な鼻を手に入れた日から、ひとつの過去になった。
斎藤佑一は、私の命の恩人で、今の私の彼氏でもある。
____
つづく。
多分父親から殺意を向けられて鼻まで折られた女はキャバ嬢にはならない気がします。2年も続かないと思う。選ぶとしたら、風俗嬢か、よくてセクキャバだと思います
でもそこまで落としたら暗くなるからガッツもりもりな元気な時に設定ごと変えます。