2月にはめずらしくあたたかでお天気が続いていたので、今週末は庭仕事をがんばりましたー!チューアップ伸びたいばらを切ったり、芝刈りしたり、のこぎりで木を切ったり、リサイクルできるように、切ったその枝をさらに小さく切ったり、、ふぅ〜〜〜〜〜DASH!DASH!

でも、時間がかかる割に地味な作業だから、家族のだれも気づいてはくれまい、きっと、、あせる(いいさ、いいさニヤリ汗

 

はてさて、エンパスさんは、自分の気持ちがわからなくなりやすいっていうお話をしてたのでしたね。誰かの喜びも悲しみも自分のことのようにわかる。本来なら共感力って便利なものニコニコラブラブ

だけど、それがネガティブに作用すると、エンパスさんが生きづらく感じることにつながっちゃいます。

 

自分の気持ちがわからないと、なんとなく周りに振り回されてしまったり、自分でいることがなんだか居心地悪い。自分の気持ちなんだから、自分でわかるはず…なのにどうしてこんなにむずかしいんだろう。。キョロキョロ

 

今回は、なんでそんな風になっちゃうの?そのカラクリを、さくっと書いてみたいとおもいます。そうすることで、わたしは自分の感情や思考のパターンに気づきやすくなったので、、、ちょいと幼少期に遡った一般論をしますので、そんなもんかーくらいの気持ちで、読み進めてくださいますとうれしいですドキドキ

 

ちなみに、ここでは、前に受けたことがあるウェンディ・デ・ローザ(Wendy De Rosa)さんのエンパス講座を参考にしてます。ウェンディさんは、エネルギーヒーラーの経験を生かして、講師としてアメリカを中心に活動なさっている方ですキラキラ

 

みなさんは分かりませんが、わたし昭和っこです照れ

それもギリギリ昭和っこではなくて、ケッコウ昭和っこですキラキラ

わたしが子どもの頃には、自分軸、人との境界線、パワハラなんていう概念が皆無で、しかも和を尊ぶお国柄、全体を考えて行動をすることが良いことだという道徳教育を受けましたし、空気を読むのも上手になりました。しかも保護者となる大人たちが子どもの頃は、きっともっと、、、あせる

 

そんな価値観の中に育つだけでも、自分の気持ちを大切にする癖をつけるのはけっこうなハードルです。ましてやエンパスさんには、とてもとても、、、あせるもしかして、それに馴染めずにいると「繊細すぎる子だ。」とめんどくさがられるようなこともあったかもしれません。。(よしよし)

 

これにプラス、家族の不仲などの環境要素が加わると、さらにエンパスさんの境界線はあやふやになり、自分の気持ちを大切にする在り方から遠ざかっていきます。きゃーキョロキョロあせる

 

あ、でも、完璧な子育てなどないですし、完璧な家族もないですよね爆  笑キラキラ長い目でみたら、その親子関係の凸凹の絶妙さ、不完全な完璧さがわかることもあるかもしれませんチューアップ

 

話を戻しますと、、、

例えば、母が父に怒っていて、それを私に八つ当たりしたとします。そうしたら、幼い私はどう感じるでしょうか?母の怒りの理由は根本的には自分には関係がなくても、自分が怒られる。あるいは、父が仕事のことでイライラしていて、私の呼びかけに耳を貸す余裕がないとします。父のイライラが、直接的に自分のことに結びついてしまいます。Oh...汗

 

ほかにもいろんな例はあれど、ざっくり言ってこんなふうに、自分の境界線が越えられていることが日常になっていきます。保護者というライフラインを保つために、自分の気持ちと他者の気持ちが交錯することが当たり前になりました。自分の生きる世界が学校・社会と大きくなっていっても、疑問に思うこともなく、生きづらさを感じながらもそのまま保たれます。

 

でも、これは単なるクセなだけ。境界線がクリアになって自分の気持ちがわかるコツがあるから大丈夫です爆  笑ラブラブ

 

はっびっくりドンッもう夕飯作りの時間に、というか、夕飯の時間まであと10ぷん。むり確定。。続きは、またあとで〜DASH!

 

ちなみにカバー写真はお隣さんのすてきな庭です(自分ちのじゃないんかい!w)