友人のお父さまが亡くなったとの知らせを聞いて。。
彼はヨーロッパ暮らし。お父さまは日本暮らし。世の中はコロナ渦。
納得はしているけれど、もやもやする気持ち。
そばにいたかったはず。
「まだ何の実感もないんだなぁ」
ああ。
その言葉に乗って、伝わってくる。
言葉になる前の、感じる前の、ものすごい奥行きのある、気持ち、、
わたしも年老いていく両親と離れて暮らしているから、彼に思わず言ってしまったこと。
彼とわたしのストーリーは、きっと全然違うけど。だけど。
「そのとき流れる涙はきっと光ってる」
わたしと両親との関係は、すでになんだかとても、精神的で抽象的な結びつきになってきていて、、
離れている距離や時間が、わたしたちの気持ちを純化・結晶化させてしまっているみたい。
もちろん、会えば生身の会話や触れ合いがあるし、会えなくなる日々のことを思うと、かなしい。
でもきっと、そのとき流れる涙は光ってる気がする。
いま、会いたくて会えなくて流れる涙と、性質は同じな気がする、、(どうかな、、まだ分からないけれど、、)。
親とのやりとりからいただいた幾千の気持ちと、これまでのありがとうのすべてと、交わした慈しみと、そして相手への祈りがつまってて、、それはかなしいだけじゃない。