6月30日。

 

早くも令和6年6月もおしまいに・・・。

夏休み直前の3連休に無謀?な計画勃発。

すでに乗り物の予約を済ませちゃいました。

ホテル宿泊なしで2泊3日の予定です。

 

夏休みの計画も着実?に進行・・ですが、真夏に熱中症で倒れても知らんぞ!の無茶な計画も・・・。

なんでこの時期に・・と思いますが、仕方ないですね。

 

さて、3月25日。

 

宮古駅から三陸鉄道でさらに北へ進みます。

 

 

きっぷを買い、鉄印をいただきました。

 

 

通常版と桃太郎電鉄コラボ鉄印とのと鉄道応援鉄印の3種類を。

 

 

乗ったのは15時05分発の久慈駅行きです。

 

 

乗りたかった開業時から走っているクルマでした。

 

 

 

 

車内はこんな感じのセミクロスシートです。

 

この列車、気味悪いほど空いていて、途中の岩泉小本駅を出たら自分と家族連れ1組だけに・・・。

 

 

途中駅でこのラッピング車と交換。

 

 

 

島越駅が近付いてきました。

震災前はこのあたりに駅がありました。

 

写真真ん中あたりに柵で囲まれた階段の一部がありますが、これは以前の駅舎にあった階段です。

 

 

 

今の駅舎は少し離れたところに新築されました。

震災前は高架橋だったのですが、大津波で駅舎と高架橋が流されてしまい、この辺りにあった建物なども流失してしまいました。

写真右側の列車が写っているミラーの向こう側に写っている住宅の方がこの島越駅が復旧していく様子を記録してくださったようで、いろいろなところでそれらを見ることができるようです。

 

旧北リアス線で震災後最後に開通したのがこの区間でした。

 

 

水門には三陸鉄道のデザインをしたものも。

 

 

 

 

列車は大沢内橋梁へ。

朝ドラ「あまちゃん」で夏ばっぱこと宮本信子さんが大漁旗を振って見送ったのがこの橋の下です。

 

やがて、列車は堀内駅に着きます。

 

 

この駅で少し停車してくれたのでホームに降りて撮影タイムに。

 

 

 

正式な駅名は「堀内」ですが、この駅は朝ドラ「あまちゃん」で袖が浜駅として使われ、その時の駅名板が残されています。

 

 

このホームからこのトンネルに向けて橋本愛さんが「アイドルになりてぇ~!!」と叫んだシーンもありました。

 

 

 

 

ここまで乗ってきたのは自分と家族連れ1組で、家族連れは車内にいたまま・・・自分1人だけでの撮影タイムでした。

 

 

この防潮堤の向こうは海です。

このあたりも津波で流失してしまったようです。

 

宮古駅を出て約1時間50分・・・終着の久慈駅に着きました。

 

 

途中の陸中野田駅から女の子が2人乗ってきただけでガラガラのまま着きました。

 

 

ここにも40周年の記念幕が。

 

 

列車の行先方向幕は「宮古」になってました。

 

 

ここも「あまちゃん」・・・。

 

 

久慈駅三陸鉄道駅舎です。

 

 

隣接して久慈駅JR駅舎です。

 

 

駅前デパートは今も健在。

この建物も朝ドラに出てきました。

北三陸観光協会が入っていた建物です。

 

 

 

駅前にはさかなくんのデザインマンホールも。

 

時間が少しあるので駅隣接の「久慈市情報交流センター」へ。

ここでマンホールカードもいただけます。

 

 

 

 

そして、朝ドラ「あまちゃん」のいろいろな資料も展示されていました。

 

やがて、時間になり久慈駅に戻りました。

 

 

三陸鉄道のりばへはJRのりばから行くこともできます。

 

 

 

久慈駅からは八戸線でさらに北上します。

 

 

キハE131系2両編成でした。

 

 

宮古駅で久慈駅からの乗車券を前もって買っておきました。

 

車窓はもうほぼ真っ暗・・・。

乗客も少なく、種市駅付近ではなんと貸切になってしまいました。

 

 

1時間半ほどで本八戸駅に着き、自分はここで降ります。

 

本八戸駅は八戸市の中心部に近く、以前はこの駅が「八戸駅」を名乗っていました。

(今の八戸駅は当時は八戸市内ではなかったこともあって「尻内駅」を名乗っていました。)

 

 

本八戸駅西口です。

こちら側が市役所等市の中心部側です。

 

自分はここから路線バスで移動します。

 

続きます。

 

**今回の行程**

宮古 15:05-16:54 久慈 36-102 1両

久慈 18:17-19:54 本八戸 キハE132-501 2両