3月13日。

36年前の1988年(昭和63年)のこの日に本州と北海道が線路でつながりました。

青函トンネルを含む海峡線が開業した日です。

寝台特急北斗星号と日本海1、4号、急行はまなす号、快速海峡号は今となってはとても懐かしい客車列車での運転でした。

特急「はつかり」号だけ電車で運転されました。

青函トンネル内は防災上気動車の自走走行ができないため、営業列車で気動車が自走で運転されたことはありません。

(過去に気動車列車がトンネルを営業運転したことがありますが、電気機関車牽引で運転されました。)

自分が初めて青函トンネルをくぐったのは開業した年(昭和63年)の6月のことでした。

東北本線まわりの青森駅行き夜行急行八甲田号で青森駅入りし、快速海峡3号でくぐったのが最初でした。

それ以降、幾度となく通過していたこともあり、ブームが過ぎ去ったころには夢の中で通過していたこともよくありました。

海底駅も竜飛と吉岡と両方で見学したことがありますが、海底トンネルだけに湿度がやたら高く(常に90%前後らしいです)温度は20℃ほどなものの、かなり蒸し暑く感じたのを覚えています。

 

さて、12月26日。

 

人吉駅でからくり時計を見た後、すぐ近くにある「人吉鉄道ミュージアムMozocaステーション868」に初めて行きました。

入場は無料です。

(今年3月下旬ごろまで工事で臨時休館になっています)

 

 

建物外観です。

 

中に入ると・・・。

 

 

くまモンがお出迎え!

 

 

 

懐かしい人吉駅の写真と災害で不通になる前の肥薩線などの写真が展示されていました。

 

 

今年3月に開業100周年を迎える湯前線の国鉄時代の懐かしい写真も・・・。

 

 

人吉は鉄道の街でもあり、機関区もありました。

SL時代の懐かしい制服等も展示されています。

 

 

以前、北九州と人吉・湯前を結んでいた急行くまがわ号のサボです。

昔の鉄道雑誌の乗車ルポでこの列車のものを見たことがありますが、初めて人吉駅に立ち寄った時にはすでに湯前線はくま川鉄道に移管された後で、乗車等は叶いませんでした。(宮崎駅と熊本駅の間を肥薩線・吉都線経由で結んでいた急行えびの号には何度か乗りましたが・・)

 

 

 

どれも懐かしいものばかり・・・。

 

 

 

子どもが遊べるようなものも。

 

 

「もぞか」号というミニトレインがあります。

有料で人吉駅まで乗ることができます。

この時の入場客は自分しかいなくて、乗車希望の人もいなかったので乗車は見送りました。

 

と思っていたら、発車時刻寸前に自分のあとから入ってきて、ササッと見学をしていった女性が1人、人吉駅まで乗車希望を出し、彼女1人だけ乗せて運転されました。

 

 

 

1人でも動いてくれるので自分も往復乗ればよかったな・・・と思っちゃいました。

 

 

 

彼女は人吉駅までの片道だったようで回送で帰ってきました。

 

ここで自分は人吉駅に向かいます。

 

 

石造車庫が今も現役ですが、災害後は列車が来ないので・・・。

 

 

今は列車が1本も来ないため中に入ることはできません。

またこの改札口を通って列車に乗っていきたいものです。

 

 

 

待合室もイスもなくただの大広間みたいになっています。

昔はキヨスクもあったのですが今は撤去されています。

 

 

運賃表です。

券売機はないですが、みどりの窓口が営業しているので全国のJR乗車券類を買うことができます。

 

 

こちらはくま川鉄道の人吉温泉駅です。

くま川鉄道も災害で一部区間が不通になっていて、今も人吉温泉駅に列車は来ません。

ロッカーの右側にある自動販売機で1日券を含む乗車券類を買うことができます。

そして、建物内で鉄印やグッズなどを買うことができます。

 

自分はここで鉄印をいただき、この奥にあるくま鉄本社にご挨拶に寄りました。

夏と秋にお世話になった社長さんはお出掛け中・・・。

夏にお世話になったB課長もお出掛け中・・・。

今回の再会は叶わず・・ま、いきなり行ったので仕方ないです。

 

 

人吉駅前にくま川鉄道代行バスが入ってきました。

 

 

 

この時間はバス3台で運転です。

全部で10台ほど確保されているようで平日の通学時間帯には多くの高校生でにぎわうそうです。

 

バスの発車時間までまだ少し時間があります。

ちょうど正午のからくり時計が始まるのでこれを見てからバスに乗ることにしました。

 

 

 

 

 

からくり時計が終わってから九州産交担当の代行バスに乗り込みました。

 

続きます。