「負けず嫌いと負け嫌い」 | マミィは社長でシングルマザー

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シングルマザー歴10ん年目。会社をつくって9年目。編集の奥深さにおののくコピーライター&編集者の、雑然かつ無鉄砲でゆるーい日々のもろもろ(ほとんどがコドモにぶんぶん振り回されているおはなし)と、ときおりココロのなかをつづります。

今朝、実家に用事があって出向いておりましたところ、

美和子ちゃん(母・65歳)が、

「わたしねぇ。65歳になってはじめて気づいたんや…」

と真顔で言いました。


なになに?勇気を出して初めての告白的な?←違う




なんでも、テレビを観ていたら”エライ将棋の先生”が

「負けず嫌いと負け嫌い」についての

お話をされていたらしく。



「負けても次のステップに進む子は負けず嫌い、

 そうでない子は負け嫌い、って言っててなるほど!って。

 わたしねぇー自分が負けるのがイヤで、

 いろんな勝負から降りてたんだなぁ。

 自分は”負け嫌い”だったんだなぁって気付いたの」





はぁー…(・∀・)



わたくし、あなたがそういうタイプだと30年くらい前から

気付いてましたが?と思いながら、65歳にして、自分の人生を

思い置く姿が、なんだかちょっぴり可愛いような気もしました。




勝負から降りるのは、悪いことでないけれど。


負けるのがイヤで闘わないと、勝つこともないんですよね。

あたりまえだけど。


もちろん勝つ勝負だけする、ことができれば、

なかなかにスバラシイけれど

そうは問屋が卸さないのが勝負の世界。


だから、たぶん。


次のステップが同じ道であっても違う道であっても。


とことんやりきって、でも勝てなくて、

悔やんで、泣いて、苦しんで、

きっと、ちゃんと次のステップでその経験を活かせる。

のが、「負けず嫌い」で。


そして。


わたしにも思い当たる過去が多々あるけれど。

もし負けても「え?別にこんな勝負、負けてもよかったしー」とか

「勝っても負けてもええんやって。真剣にやるんやあほらしやん」とか

そういう言い訳を自分に与えて、『勝敗を気にしない』ことで

結果から逃げる。ちゃんと負けを消化しない。そういうのが

「負け嫌い」なんだろうと、しみじみ思う。


そして、負けるのが嫌だから、

勝負しないで勝てる場所で、

できるだけ常に勝っていられるような場所で

安心するようになるのだと思う。


「満足していますよ!」と自分に言い聞かせて。

たとえ、本当の自分は、違う何かを叫んでいても。


それを聞いたら、「負け」を認めることになるから。




子育て中の母と、その母に育てられたわたしは

まさに「負け嫌い」だった。


そう思うと、ココロのどこかがズキズキする。



だけど不思議なことに。

若いころのように、責めるという気持ちはない。

むしろ、「このひとは、このひとで精一杯だったんだろうな」と思う。


自分の子を育てるときは、「負けないように」

(「勝ち負けに気付かないように」が正しいかも)

安全で明確に失敗しない道を進ませることが正しいと信じて

自分自身納得してたんだろうなあ。


そして、60を過ぎて、

毎日、バカみたいに汗かいて練習して、負けて泣いて、

どこまでいっても認められずに泣いて、泣いて、泣いて。

それでも、やっぱり、毎朝、同じ時間の電車に乗る、

打たれても立ち上がろうとする「負けず嫌い」に困惑しながら接して。


そして65歳のいま、テレビを見て、「あ!そーだったんだ」と

気づいたのだろうなあ。(天然だなあ、ばーちゃん)



そんなことをいうわたしだって、

「会社大きくできなかった理由は人徳がなかったこと」とか

ダメな自分のことを人様に言えるようになったのは、最近のこと。



それは、「オレは弱いから、もっと強くならないかん」と

先輩にでも一本取られれば悔しがり、ちゃんと潔く弱いことを認め、

結果を出さなければというプレッシャーから逃げずに闘い。

大将という責務を果たすたびに少しずつだけど強くなってきた

暑苦しい「負けず嫌い」の影響なんだろうと思う。





もちろん。人の生き方は、それぞれで。


どちらが悪いとか、間違っているとか、

そういう話ではまったくないと思う。

負けないように生きるのが、スマートで

シャレオツなことなのかもしれないし。






でも。


確認はしていないけれど。


たぶん、もう一度、生まれ変わったら。

「負け嫌い」ではなく「負けず嫌い」になろうと、

母も思っている気がします。