考えすぎると使えなくなるものなのです。 | マミィは社長でシングルマザー

マミィは社長でシングルマザー

シングルマザー歴10ん年目。会社をつくって9年目。編集の奥深さにおののくコピーライター&編集者の、雑然かつ無鉄砲でゆるーい日々のもろもろ(ほとんどがコドモにぶんぶん振り回されているおはなし)と、ときおりココロのなかをつづります。

先日、若いメンズと食事をする機会がありまして(むほほ)

ふとしたことから学問の話になり(どうだ、知的だろう)

「ことばを綴る」ということを昨日からわりと真剣に考えています。




ことの発端は。


とある大学で勉強をしているその彼が

その専攻の学問を「ことばで表す」のが

苦手だという話になったこと。


ほら、こういう時でもないと、自分がいちおうプロとして関わっている

世界についての持論を誰かに話すこともないので

えらそぶって語ったわけですが(あーやだやだ、40オンナ)

話しながら、苦手ということが不思議だったのです。


なぜかというと。


飄々としている(←最近の男子にありがち)のだけど

ちょっと話すだけで、「あ、この子、賢い」と

気付くことばをたくさん持っていたから。


たくさん本を読んだりしっかり学んだりしたことによって

ちゃんと多くのワードを自分の中に蓄積していて、

そして普段の会話で、さりげなくそれが

出てくる。って感じかな。若き知的男子は好ましいね。



でも、評論や論文を書けと言われると

なかなか書けないんだそうで。


それって想いや考えがないわけでも、まとまらないわけでもなく、

内包していることを表現するツールである「ことば」を

難しくとらえているだけだと思うのです。


ことばって考えすぎると、使いにくくなるツールなのですよね。




【書くということ。その1】


上手に書こう、上手く見せよう。


相手に伝わるベストなことばはなんだろう。そんなことを。


アタマで考えれば考えるほど、ことばなんてのは

逃げていってしまうのだと、アタシは常々思っている。


アタマの奥で考えていること。


それは、「他者の目」であり「自分をよく見せたいという我」。


だから。


「スマートなことばを綴りたい」「読まれて恥かしくないものを書きたい」

という自我をまず、脇に置いてみる。


それが、「ことば」と仲良くなるファーストステップだとアタシ思うんです。