突然ですが、今まで小便をしたときまたは大便をしたとき、「ありがとうございます」と手を合わせたことはありますか?
なんのこっちゃと思われるかもしれませんが、当たり前すぎて意識すら向かない事ほどありがたくて尊いものなのでそこに意識を向けて行為として表すということです。
小便だったら 血液中の水分や不要物、老廃物 を排出してくれるなくてはならない有難いもの。
それを忘れているというか普段当たり前すぎて全く意識していない。
水、空気、太陽、雨、日常関わる物なども有難く尊いものなのに、あって当たり前な状態になり感謝の意識がむきにくいかもしれません。
むしろ無意識に暑い、寒い、雨は濡れるので嫌だと不平不満の対象になってしまっているかもしれません。
そのことがセルフ・ヒーリング実践研究会をつくられた神代ゆう先生のご著書「未来コンパス」
の中に書かれています。
最初読んだ時はなるほどそんなこと考えたこともなかったと思いましたが数回おこなっただけで終わっていました。
それだけ当たり前と思いがちな尊いものへの感謝が薄かったということです。
それが最近は大便や小便をしたあとありがとうございますと心の中で感謝の思いを伝えることが習慣になってきました。
未来コンパスP62より引用
『例えば、大便や小便に合掌して感謝と喜びをもって帰依して、よき自然回帰を願って水と共にトイレに流しなさい、と説いています。
仏像やご本尊に手を合わせて帰依しなさい、と教えている宗教は掃いて捨てるほどありますが、大便や小便に合掌して、深甚なる感謝と喜びを持って帰依しなさい、なんて教えるところは何処にもありませんでした。
私は自分の排泄物なんかに一切、意識もしたことがありませんでしたし、当然、感謝して手を合わせるなんて考えたこともありませんでした。
しかし、不思議なことにこのことを実践していくと、ありとあらゆるものに感謝と喜びの思いが湧いてきて、いつしか精神的にも肉体的にも安定して、穏やかになっている自分に気付くのです。
それどころか、良いことばかりが次から次へと、打ち出の小槌のように起きてくるので、何かの魔法にかかった気さえしました。
思ったことが直ぐに実現しますし、一体、これはどういうことなのだろうかと、目を見張るばかりでした。
パラレボ理論の凄さと、見えざる働き掛けが存在する事実に出会って、ただただ驚嘆と絶句の連続でした。』
引用終わり
自分も当たり前と思われていることに感謝を忘れがちになり、無意識に傲慢になってしまいます。
無意識だと傲慢になっているので自分はどういう意識でいるのかを意識する。
そして謙虚、謙遜の思いで自分の至らなさを自覚して、感謝の意識でいろいろチャレンジしていきたいと思いました。
神代ゆう先生ありがとうございますm(_ _)m