選手・保護者の皆様

 

伏見クラブを代表して

2月11日、早朝に京都を出発し能登半島へ

支援物資を届けに行ってました。

 

 

金曜日に荷物を積み込み

 

日曜日、石川に向かって出発、23時に帰京してきました。

 

11時頃、現場に到着、まず、内灘に1時間ほど滞在し、

異様な光景を目の当たりにします。

地面が平行じゃないので、まっすぐ立っているのか

目まいなのかふとわからなくなるんです。

全てが歪んでいました。

盛り上がっているのか

沈んでいるのか

元々よりも1メートル以上差がありました。

 

 

 

内灘町の被災はすごい限定的なエリアでの被災でした。

それもまた、怖かった。そこの一部エリアだけだったので

それ以外は普通の暮らしでした。

 

そして、そこから能登半島を50kmほど北上し

 

震度7だった町志賀町へ行き、物資を寄付

更に北上して被害が大きいとされた富来、そして

隣の町、輪島市まで行って帰ってきました。

 

そこには

 

テレビの情報ではわからない現実がありました。

 

液状化現象で地盤が沈む

 

電柱が1mほど、沈んでいます。

 

 

 

知り合いの「たかさん」と会話から見えて来た現実

 

たかさんは、20年前、取引先だった社長。

同年代の仲良しで、昔お世話になった方です。

 

1月1日、たかさんは内灘町の実家におられたそうです。

午後4時は家族みんなが集まり食事をしていたそうです。

地震が起きた時、長い時間揺れ、天井から粉が落ちてきて

壁がはがれだして、家が傾いたそうで、

その時はみんなテーブルの下に隠れたそうです。

 

大きな揺れの後、全員の携帯が鳴り、テレビは一斉に緊急報道となって

「津波が来ます。直ちに避難してください!!」

そんな情報がそこらじゅうで出ました。

 

 

海はすぐ真横にある内灘町。

 

地震後、

家が傾き、ドアがあかず、窓も開かず、

そこを割って逃げようとするも、80代の母は歩けず

窓から出そうにも出れず、どうしようもない状況に。

 

とりあえず、たかさんは外に出たけど、

 

今度、クルマが出せない事に。

家と道路は段差が出来て寸断されてるし

道がぐねってるし、

 

「クルマも出せない」 という事になった。

 

そして

 

たかさんが出した決断

 

「母ちゃん出せないし、置いていけないから覚悟決まった」

 

「家もどって、家族で最後の飯食ったよ^^」

 

だそうです。

 

冗談のように笑い飛ばして話すタカさん。

こちらへのせめてもの気遣いだったと思います。

 

余震は続く、津波はいつくるかはわからない

自分の家が倒壊するかもわかならい。

 

そんな中、母を脱出させるまでの数時間

ご子息、娘さんは中学生と高校生。

 

どんな想いだったでしょうか。

 

「津波来なくて良かったですね」

 

と言いそうになりましたが、その言葉がとても軽く感じたので

何も言えず、つばを飲み込んで、タカさんを見つめる事しかできず

ただ立ち尽くしてしまいました。

 

 

 

 

 

2月1日現在

 

県によると、死者は輪島市103人、珠洲市101人、穴水町20人、

能登町8人、七尾市5人、志賀町2人、羽咋市1人

 

住宅被害は4万7915棟で、1万4431人が避難生活を送っている。

 停電はほぼ解消したが、断水は輪島市や珠洲市のほぼ全域で継続し、

県全体で4万戸を超えている。2024/02/01

 

という事です。

 

新しい家は、全然大丈夫だったり、地盤も安定していた地域は

古い日本家屋だけがその地域でポツンと全壊していたり、

少し走れば、被災したかもわからない普通の暮らしがあり

 

言葉を失うシーンの連続でした。

 

金沢市内は「地震なんてありました?」というような暮らしです。

 

たかさんが言ってました

「母は弟のいる金沢に預けた。でも泥棒とかもいるし、役所がどんな

情報を持ってくるかわかんないから内灘へ毎日帰ってる。」

 

金沢で仕事をして、クルマで内灘に帰る。

そこには別世界。電気は来たけど、水道は来てないそうです。

 

「ほんとに心が折れるよ」

 

と言っておられました。

お金もない、仕事もない、先もみえない中なのに

「次の週末は炊き出しのボランティアいくわ」

と言ってました。たくさんの地元のお知り合いが被災されているからです。

 

「お金ないし、子供大学やし、どうしよっか・・・」

 

お家、直すのに1000万円近くかかると言われたそうですが、

半壊のためお金全然支援出ないそうです。

仮に全壊だったとしても600万の支援なのかな?

「全く追いつかない、やばい、お金ない」

というような事を言っておられました。

 

明日、京都にこれが来ない保証はありません。

 

 

本当に考えさせられる1日でした。

 

 

 

今ある「命」を大切にする事

今日ある「時間」を大事に生きる事

 

当たり前の暮らしは一瞬で無くなる現実

 

伏見クラブではジュニアの部員に

「被災した時、助ける側に回れるように」と伝えています。

 

今回、次の第2回に向けた取り組みとして

ジュニア部員や保護者様で被災地域にお手伝い行けるように

準備していきたいと思います。

 

ミニ部門・ガールズ部門・タグ部門、ともに

被災地の復興支援に尽力していきたいと思います。

 

 

私たちが見て来た内灘・輪島・富来