【怪しいおやぢ】です。
今回は、『かんかち団子』
『近世商売尽狂歌合』(石塚豊芥子)から
『かんかち飛団子』
享保以前からあったのだろう。
『俳諧名物鹿子』に【梅は飛ぶさくらは杵のだんご哉】という句が見える。
その後、興廃が何度もあったと思われる。
当時は流行となり、江戸中で十二、三人出たという。
文政の末の頃、浅草阿部川町から出た。
これは再興である。この団子売りは越後の人で、老齢になると諸道具を人に譲り、越後の国に帰ったという。
『近代世事談』(菊岡沾涼)にも見える。
【016】 『飛団子』~江戸の菓子事情(その16)【本朝世事談綺】
こう書いてある以上三都はもちろん、諸国までも広まっていったものと見える。
昔、神田田町二丁目片側町に景勝団子あり。
または、かねかつ団子というものあった。名は違うが同じ品物である。
馬琴翁の話では(商人尽)、かつぎ屋台というものに、小さな臼を置いて小唄を唄い、団子を舂いた。
臼の縁を拍子よく打ち鳴らし、舂くようにすると団子が飛び回る。
それを子どもらはおもしろいと思ったのだろう。
(中略)
かね勝団子が絶えてから、あやめ団子が売れ出したが、これは今もある。
兼勝はひとりのみだったが、あやめは類が多かった。
……と馬琴翁が書いた類の多いあやめ団子は、今は廃れている。
かね勝団子は、今はかんかちと解明して流行している。
世の盛衰もまた同じようなものなのだろう。
…………。
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