寒天を利用した「練羊羹」については、寛政年間(1790年代)に江戸で発案されたと言う説と、1589年和歌山の駿河屋岡本膳右衛門によって作られたと言う説がある。
 寒天は1650~1660年頃に姿を現したとされるので、一般的には、寒天が広まったとされる寛政年間に、練羊羹が発案されたとする説が支持されているようだ。
 泡雪羹は、1860年代に広まったとされる。
 日本人の独創ではなく、洋菓子が入りやすくなった1860年代にメレンゲを応用して作ったと考える方が自然かもしれない。

 ふと思ったのだが、駿河屋は紀州藩の菓子司である。
 駿河屋の「練羊羹」……。
 吉宗とともに杜氏が江戸へ行き、幕府の菓子司である大久保主水に伝えなかったのだろうか?
 考えると、いろんな物語(思惑)が浮かぶのである。