東日本大震災からまだ3週間・・・ | 大村あつしオフィシャルブログ「ボクは不死鳥」Powered by Ameba

東日本大震災からまだ3週間・・・

大きな、そして、まるで船酔いになりそうな長い横揺れを感じた。

そして、「ついに東海地震が起きたか」と慌ててテレビをつけた。

震源地が、遠く離れた三陸沖と表示されていてビックリ。

3月11日、15時少し前の出来事だった。

NHKでは、気仙沼港の様子を映しながら、「津波に注意してください。海沿いの方は高台、もしくはビルの3階より高い場所に避難してください」と呼びかけていた。

当然だが、その時点でまだ死者の報告はなく(亡くなった方は津波によるものなので)、津波到達予定時刻を過ぎても凪のように悠然としている気仙沼港の様子を見ながら、ボクはまだ事の重大さ、深刻さがまったく理解できていなかった。

NHKのアナウンスも、「けが人が出ている模様です」という呑気なものだった。

なんの根拠もないのに、ボクは、「津波といっても防潮堤があるんだし、大丈夫だろう」と一旦テレビを消して仕事に戻った。

そして、1時間ほどパソコンに向かい、再びテレビをつけたときに飛び込んできたのがこの映像だった。





寒気がした。

これが日本だと、ましてや、子どもの頃よくイナゴ獲りをした名取川河口のあの場所だとは思えなかった。

思いたくなかった。


昨日、友達と話していた。

「地震が起きて、まだ1ヵ月も経ってないんだよね」

確かに・・・。

あの衝撃的な映像、その後徐々に明らかになっていく被災の大きさ、翌日の福島第一原発の一号機の建屋が吹き飛ぶ恐怖の映像。

まるで2ヵ月前のことのようだ。

要するに、それだけ多くの事があり過ぎて、みんなが緊張しながら毎日を過ごしていたということだろう。

被災地ではない人間ですらこうなのだから、被災された方々の心を思うとやるせない気分になる。

彼らは、この3週間は3年ほどの長さに感じているのではないだろうか。

東北関東大震災の3日後くらいから計画停電が始まった。

ボクの住んでいる地域も停電した。

自粛モードも重なり、被災地でもないのに街が死んだ。

また、東北関東大震災の10日後くらいには、静岡県東部地震が発生した。

このときは、「今度こそ東海地震だ」と思った。

慌てて外に飛び出すほどの揺れと恐怖だった。

そして、「スーパームーン(大きな満月)の日には、今度こそ東海地震が起きる」だとか、「そのときに富士山も噴火する」だとか、「今日出ていた地震雲の写真を送ります」なんてチェーンメールまでもが飛び交い、ボクも真剣に「今度こそ東海地震が来るんじゃないか」と思った。

その後、ドンドン状況が悪化していく福島第一原発。

ついに、汚染水の海への放出が決定した。

「頭の体操としてはありえるが、汚染水の海への放出はない」と言っていた原子力保安院。

しかし、毎日「予想外」のことが起きて、正直、もう彼らの記者会見は見る気にもなれない。

そもそも、たとえばどんなに優秀なパイロットでも、飛行機の故障は直せない。

直せるのは技術者だ。

そういう意味では、東電は原発のパイロット、運転員である。

必要なのは、原発を作った会社、1、2号機のGEと3、4号機の東芝、日立の技術員の知識である。

そして、昨日やっと、GEと日立が立ちあがった。

というか、彼らは今までなにをしていたのだろか?

まぁ、発生してしまった原発事故を嘆いても仕方がない。

ここは復旧を信じつつ、同時に、とにかく、東北、北関東地方の復興に、全国民が力を終結する時だろう。

本当に長い3週間だった。

被災された方にとっては3年間に感じられる日々だっただろう。

しかし、本当に長い闘いはこれから始まる。

そして、ボクたち日本人なら、必ずやその闘いに打ち勝つだろう。

被災されたみなさま。

あなた達はひとりではありません。



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