「200年住宅」のニュースを見てふと思った | 大村あつしオフィシャルブログ「ボクは不死鳥」Powered by Ameba

「200年住宅」のニュースを見てふと思った

2日くらい前でしょうか。

遅い昼食を食べる時にテレビがついていて、時間的にワイドショーだと思うのですが、「200年住宅」の特集をしていました。


「200年住宅」の詳細は簡単にネットで調べられるのでここでは深く触れませんが、まぁ、骨組みなどの定期的なメンテナンスなどによって、建て替えることなく、内装のリフォームだけで200年住み続けられる家のことらしいです。

確かに、日本住宅の寿命は30年と、先進国の中では短命の部類に入るので、長期維持が可能な住宅は素晴らしいと思いますし、そうした住宅を政府が助成する(税金が使われる)ことにも異論はありません。

ただ、真っ先に感じた素朴な疑問。

200年後(実際には、200年ももたないと、「200年住宅」というキャッチコピーが問題視され始めているようですが)の人間のライフスタイルがどうなっているか予想もつかないのに、「これで200年先まで安心」とインタビューで答えていた方がいましたが、これは相当な違和感でした。

ボクは科学者ではないのでわかりませんが、2年ほど前に読んだニュートンという科学雑誌で、

「物体移動」はSFではない

という特集が組まれていました。

理論的には、ニュートリノの分裂と再結合で瞬間移動は可能なのだそうです(だから小柴さんがノーベル賞をもらったんでしょうか?)

携帯電話の10年の進化は、人類の2,000年の進化に匹敵すると言われています。

外で通話するだけの携帯電話に、iモードの登場によって、インターネット接続機能とメール機能が付き、さらには、写真、ゲーム、お財布、GPS、テレビ電話、テレビ視聴(ワンセグ)とその機能には枚挙にいとまがありません。

そもそも、誰から電話がかかってきたかが表示されるなんて基本的な機能も、僕が子どもの頃には夢物語でした。

それだけ、科学というのは進化を続けるのに、「これで200年先まで安心」なんて、ずいぶんと悠長なことを言ってるなと思いました。

200年後には、人間は宇宙ステーションに住んでいるかもしれないのに・・・。

ただ、これは別に、ある意味、「かわいらしい」と思いましたが、ちょっと不快なインタビューもありました。

「これで、子どもも、孫も、その子どもも住める」

小さな子どもを抱きながら、インタビューでそう答えていた人がいましたが、成長したときにどこに住むのかを決めるのは子どもではないでしょうか?

大学進学を機に東京に住むかもしれない。

Dr.コトーのように離島に住むかもしれない。

アメリカやアフリカに住むかもしれない。

「200年住宅に住む」という未来を、子どもではなく親が決めてしまう。

それは少し、いえ、かなりおかしいだろうと思いましたね。

なぜ、そう思ったか。

それは、ボク自身が、親に、

「将来は富士市で自分たちと一緒に住め。
嫁さんになる人は専業主婦で、一人っ子だとかわいそうだから子どもは2人」

などなど、もう中学生のころから言われ続けて育ちましたので、インタビューに答えていた母親に抱かれた子どもも、同じように言われ続けて育つんだろうな~、と思ったら、ちょっと気の毒でしたね。

親の子どもに対する愛情と、所有欲は別物であるべきだと思うのですが。

と、「200年住宅」とは無関係の事を、「200年住宅」のニュースを見ていて感じました(*^^*)




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ドラゴンボールのベジータの声優、堀川りょうさんの素晴らしい朗読です





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