節穴豆腐で御座います。好みの話、後編で御座います。
前編で触れたお話の、具体的な例として、ネットなどで、アダルト動画を法律で規制しよう、という方々がいて喧嘩になっているのですが、そういった方々がそういう事をする根本的な理由は、結局それが嫌い、受け付けない、理解できないという事でしかない様に思えます。
ただ、法律でアダルト動画を規制したいんです!と言って、理由が自分達が嫌い、受け付けない、理解できないからです!と言っても、それは勿論通らない訳で。そこで、それを通す為に大義名分、まともに見える理由を作り出す必要があり、そこで作り出したのが、アダルト動画で痴漢の様な、現実では犯罪である行為を好んで観る人は、いずれ本当に痴漢をする様になるから、といったものでした。
そこで本当にアダルト動画の規制が出来てしまうとどんな事になるかというと、そもそも、元々の本当の理由が嫌い、受け付けない、理解できないという好みの話で、それに適当な理由をくっ付けたら法律で禁止が出来た、という形になりますね。
世の中には、どんなものに対してもそれを好きな人も嫌いな人も、良いと思う人も悪いと思う人も様々な意見の人が必ず一定数いる訳で、現代はネット社会ですから、ネットで簡単に仲間集めが出来る時代なのです。そうしたら、ネットで「〇〇が嫌いな人集まれー」と同じ好みの人を集めて、そこに適当な理由をくっ付けて、大勢で大声で騒いだら、何かを法律で禁止できました、となったら、その気になればなんでもかんでも法律で禁止できてしまう世の中になり、それはとても面倒だしとても怖い社会じゃないか、と私は思うのです。
例えば、痴漢もの動画を観ていると本当に痴漢になるから、という理屈でアダルト動画が規制できてしまったら、その理由はそのままに、ターゲットを差し替えていくと、人気漫画のワンピースだって禁止できる事になるんですよ。
だって、ワンピースの主人公達は格好良くて、海賊で、海賊って反社会勢力、犯罪者な訳ですから。ワンピースで海賊を格好良いなどと言っていると、海賊みたいな反社会勢力に憧れて、そういった組織に本当に入ってしまう人が出てくるから、規制すべき。アダルト動画の時は同じ理屈で法律で禁止できた前例があるのですから、当然今回も通りますよね?となる訳です。
好き、嫌いの好みの話で何かが禁止になってしまうと、そこを皮切りに今現在全く問題がない物が、突然法律で禁止する、しないの話になる可能性を持つ様になりますし、世の中にはどんな物にも嫌いな人が一定数いる以上、何が槍玉にあがるか判ったものではありません。そんなの、少なくとも私は嫌です。
そして、そもそもが、痴漢もの動画を観ていると本当に痴漢になるとか、ワンピースで海賊格好いいなんて言っていると、海賊みたいな反社会勢力になってしまうとか、そういったものって創作物、作り話な訳です。創作物って、現実ではあってはならない事を、娯楽として楽しんで良い物ではないでしょうか。
例えば、国民的ドラマの相棒という番組がありますが、相棒は毎週殺人事件が起きて、その真犯人を突き止めて、逮捕するまでをワンセットとして、毎週進行する訳で。例えば、相棒の新シリーズが始まって、「右京さん、暇ですねぇ。でも、私達みたいな殺人課の刑事みていな者が暇っていう事は、世の中が平和って事でいいですよね。お茶にしましょうか。」だけで4週間も5週間も過ぎていったら、視聴者は「殺人事件は!?」と大ブーイングを浴びせると思うのですが、それって、皆殺人事件を心待ちにして、殺人事件を楽しんでいる訳ですよね。でも、創作物で作り話だから、それは問題にならない訳です。
世の中に山程あるタイプの映画で、テロリストが高層ビルを占拠して、要求が通らなかったら中にいる人質ごとビルを爆破するぞ!と言って、人質の中にたまたま休暇中の特殊部隊の隊員が混じっていて、その人が単身テロリストに戦いを挑む。そんな映画はごまんとありますし、それを皆かっけー!と言って観に行く訳ですが、現実にそんな事件があったら、格好いいどころか怖いし嫌だし、あって欲しくないじゃないですか。
暴力的とか残虐とかでなくても、恋愛映画などでも、男女が出会って惹かれ合って付き合って、付き合った瞬間に大きな病気が見つかり余命三か月を宣告される、なんていう映画を、残り少ない僅かな時間の中を懸命に愛し合う、それが素敵なのよね!感動するわ!と皆さん良い話として鑑賞する訳ですが、現実にそういうカップルがもしいて、そこに同じ事を言ったら、暴言も暴言になってしまいます。
ホラー映画だって、人がバンバン死んだり怖かったりグロかったりしますが、それはそういうのを好きな人達がいて、そういう人達に楽しんでね、という気持ちで作って差し出しているものである訳です。
世の中に合法的に出回っているものは、どんなに変なものであれ、それを好きという人がいて、そういう人に幸せになってもらう為にあるものであって、人を傷つけたり、追い詰めたりする為に作ったものは、そもそも世に出る前にほぼほぼ弾かれるものだと思います。
そして、創作物というものはそもそもがこういったものなので、現実ではあってはならない事を創作物でも描いてはいけないというなら、今現在既に世に出ているドラマも、映画も、漫画も、ほぼほぼ全てがアウトじゃないか、と思うのです。
では、そういったものを観てそういった事を本当にやってしまう人にはどうしたら良いか、と言うと、例えば小さなお子さんがお友達をぶって泣かせてしまった時に、大人が叱って理由を訊くと、
「どうしてぶったの?」
『言う事きかなかったから』
「言う事きかなかったからってぶったらダメでしょ」
『でもさ、アンパンマンは最初口で注意して、言う事きかなかったらアンパンチで解決するもん』
となったら、
「悪い見本を見せたアンパンマンが悪いし、真似しただけの貴方は悪くない」
ではなく、
「お話の世界と、現実の世界ではやっていい事と悪い事が違ってね、本当の世界では、どんな理由があっても、お友達をぶっちゃいけないんだよ、いいね?」
と、創作物と現実の区別をつけなさい、という教育をする、という方向に行くのが普通であって、創作物を禁止する方向にはいかないと思うのです。
そういった事を全てひっくるめて、人間、好き嫌いは必ず出てくるものですし、自分の意志の力で好き嫌いが自由にならない部分もある訳です。
例えば、何かを好きになろうとして一生懸命取り組んでも、好きになるぞ!と意気込めば必ず好きになる訳でもなく、なーんかピンとこないなぁ、とか苦手だな、これ・・・といった事もありますし、逆に嫌いにならなきゃ!辞めなきゃ!と強く思っても、でも大好きなんだよなぁ・・・といったものもある訳です。
だから、好き嫌いの好みというのは、何が好きでも、何が嫌いでも自由であるべきだと私は思います。
そして、世の中には何に対してもそれを好きな人も、嫌いな人も、良いと思う人も悪いと思う人も必ずいる訳で、誰かの好きな物は誰かの嫌いな物な訳です。
例えば、甘い物、というもの自体には善悪はありませんが、それを受け取る人が甘い物が好きであれば、甘いから美味しくて、甘いから最高となる訳で、甘い物が嫌いな人が受け取れば、甘いから不味い、甘いから最悪、となる訳です。
同じ物事の同じ面を見て、ある人はこれがこうであるから最高だ、と言い、またある人はそれがそうであるから最悪だ、と思う。好みというのはそういうものですし、そこで自分が何かを嫌い、受け付けない、理解できないと思ったからといって、それを攻撃したり世の中から追い出そうとすると、誰かの好きな物、大事な物を殴り合って追い出し合うという何一つ意味のない事になってしまう訳です。
だったら、自分が嫌いで受け付けないのなら、近付かない、触らない。それで自分と嫌いなものが関わらず、交わらず幸せに過ごせるならそれで良いじゃないか、と思いますし、更に、自分が嫌いで受け付けないそれを、好きな人達がいて、好きな人達が好き同士で楽しんでいる、という事に対しては尊重して認めてあげる、という事が大事なのではないでしょうか。
ちょくちょく見掛ける事例として、これは例えですが甘い物が好きな人が甘い物を食べて美味しい!最高!と発言しているところに、どこからともなく横から突っ込んできた人が「甘い物が嫌いな人もいるんです、配慮して下さい!」と食って掛かる様な光景、なんとなくご想像頂けるかと思います。
私は、物事にどんな感想、どんな印象を持つのも自由、それを他人にぶつけたり、押し付けたりしなければ私はこう思った、私はこう感じた、と発言するのも自由だと思っていますが、嫌いな人もいるんです、配慮して下さい、というのは、貴方が甘い物を好きで最高だと思っても、それを表明する自由を認めません、という事ですよね。
例えば、甘い物が嫌いな人に「甘い物が嫌いとかさー・・・あり得ないよね、異常だわ」と言ったり、「本当においしい甘い物を食べれば、皆甘い物が好きになるし、甘い物が嫌いな人って、本当においしい物を食べた事が無いからなんだよね。だから食べてよ」などと、嫌いだと言ってるのに食べさせようとしてくるとか、甘い物を嫌いで受け付けないと感じた、という人の感性を理由に貶したり、馬鹿にしたり攻撃をするといった事に対して、反撃として「嫌いな人もいるんです、配慮して下さい」は正解ですし、問題が無いと思います。
ただ、甘い物が好きな人が美味しいと感じた、自分にとって最高だと思った、というのはそれをそう感じるのも発言するのも自由な訳で、それを侵害するのは間違っていると感じます。
こういった方は、「貴方は好きで美味しいと思ったかもしれないけど、世の中には同じものに対して貴方とは違って不味くて最悪だと感じる人もいるんです、そういう他人の事も考えて下さい」というニュアンスで仰っているのかと思いますが、全くその通りで、そういって難癖をつける貴方自身が、自分と違って甘い物を美味しい、最高と感じる人の事を全く考えていませんよね?と思うのです。
自分が甘い物が嫌いで受け付けない。自分が嫌いで受け付けない物を褒めたり持ち上げるのが気に食わない、という嫌いな側の人間の理屈しか頭にないから、好きで最高と思う人に、そう思ってもそれを発言するな、といった自由の侵害が出来る訳で、そこは正解としては、自分は嫌いで受け付けないけれど、あの人にとって美味しくて最高で、あの人が美味しく楽しんでることに関しては、尊重して快く認めてあげる、という事が大事ではないか、と思います。
長くなりましたが、好みに関する話、前後編。思いの丈を記させて頂きました。
お読み頂き、有難う御座います。