農学部の田んぼで。一昨日夕方。

 

【若いころ】

職業生活50年の前半は公務員〈20年〉、後半30年間は大学教員でした。

この間に「生き方」を教わったのは、前半は吉村仁さん(課長補佐。後に事務次官)

と中西陽一さん(石川県知事)から。

大学への道は、伊部英男さん(日本社会事業大学理事長)のおかげです。

このお三方は、いずれも故人です。

 

【65歳から74歳まで】

鹿児島国際大学に勤務した。常勤6年+非常勤3年、大学院専任。

この9年間は、「鹿児島生活」に慣れるのに精いっぱいだった。

明治維新に見る「武の国」(現在でいえば、「政治」優先か)です。出身高校ごとの固い結束を観察しては来た。残念ながらこの期間は深く意見を交換できる友人などは少なかった。

 

【一人の年金生活者として】

その後は、いはば、自分一人で、「世間」と「世界」に対峙してきた9年間。

 

Aさん (在京。しばしば鹿児島にも見えている)は、政治家・官僚の上層部・外国人・企業経営者・ジャーナリズムなどの広範な交流の中から現在の日本社会の病弊(過度のアメリカ依存)を観察されている。

Bさん (大隅半島在住)若いころに、アメリカと台湾の大学を卒業し、広く世界の潮流を見つめておられる。アメリカ支配の構図から「ユーラシア」というのか、これまで無視されてきた国々の台頭を予見されている。

 

83歳の現在、幸いなことに、まったく違った生活・思想圏なのに、深く考えを理解できる人がいます。

 

【子安宣邦】

日本思想史家。1933年生まれ(8年先輩。もちろんお会いしたことはない)

韓国や台湾での講演集が最近1冊にまとまった。

「可能性としての東アジア」(現代書館発売、2024年6月刊)

 

「肩書を失ってはじめて一市民という己の立場を自覚した」p5

9つの講演のうち、4番目の日韓関係の過去と現在に関する章のみ読んだ。

p59-78.2006年韓国での講義から。その要点は、別記事で。