「校倉」を「あぜくら」と読むのはなぜか

6月21日は、756年(天平勝宝8年)のこの日、天皇聖武の遺品が妃の孝謙天皇によって東大寺に寄進された日です。これが正倉院の起源とされています。

正倉院は、もともと東大寺の一部でしたが、1875年に内務省管轄、1884年には宮内省管轄となり、現在は宮内庁が管轄しています。

正倉院の「正倉」とは「最も重要な倉」という意味で、その正倉が設置された一画を正倉院というそうです。

律令時代には諸官庁や大寺院には必ず正倉がつくられていましたが、他はすべて消失し、現存するのは奈良東大寺の正倉院だけです。

その正倉院は周知のように「校倉造り」という建築方法が用いられていますが、どうして「校」を「あぜ」と読むのでしょうか。