里山の四季 -7ページ目

菜の花は


年が明けてこの15日ごろからが似合うね!
今朝はとっても寒かったけど、この時間ポカポカとして菜の花が生き生きと輝いています。

どんと焼き


今日はどんと焼きの日、里山の山あいの集落ではその櫓をしつらえてあった。

第八次伊能測量(九州第二次)出発日

 今を遡ること206年(75241日)前の今日、

1812.1.9(文化8年11月25日)、伊能忠敬の一行は

第八次(九州第二次)測量に出発した。


 当日の測量日記の内容は次の通り。

 朝晴曇。五ツ後深川黒江町出立。前年の吉例に随い富ケ岡八幡宮へ参詣。

直に発足。

 随身の者は、内弟子にて尾形顕治、箱田良助、保木敬蔵。侍は加藤嘉平治、宮野善蔵。竿取は佐助、甚七。草履取清兵衛。長持宰領久保木佐右衛門なり。
 送別の人々は、間宮林威、櫻井秀蔵、伊能七左衛門、加納屋兵衛、大野弥三郎、佐原村名主伊能藤左衛門、組頭伊左衛門、本家より妙薫、お里て、伊能三治郎、藤吉、伝七、前原逸八。品川まで送る。
 同所にて坂部貞兵衛、永井甚左衛門、今泉又兵衛、門谷清治郎に出会。
 局より足立左内、坂部八尾治、相沢文五郎送別。
 我等上下十人、坂部侍草履取上下三人、永井、今泉、門谷上下六人、合上下十九人。
 品川相模屋忠右衛門にて中食。二里半川崎宿。二里半行。七ツ半後神奈川宿へ着。止宿(蔦屋善左衛門、上総屋長左衛門)。此日八ツ頃小雪。

 ご覧のとおり、19人から成る測量隊である。御用旗を担いでいるから

ある意味、大名行列のような様相だったかもしれない。
 この時、伊能忠敬は68歳、そして、
この測量は結局2年3ケ月余りの測量行となったから、江戸に帰ってきたときは70歳を迎えていた。

 その測量経路は次の通りの大遠征。ローマ帝国軍隊の遠征を遥かに凌駕していただろう。


hachiji







今日の花木

  厳冬の花「オキザリス」

   

   花言葉:

輝く心
母親の優しさ
喜び
決してあなたを捨てません
輝煌
あなたと過ごしたい
心で感じる


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