ここ1週間ちょっと、
やるべきことが十分にできてなかった。
私の唯一の仕事である
ハンドメイドの制作や発信、
その他今後の方針を決めるために考えないといけないこと。
なんだかやる気が出なかった。
「今日はやる気が出ない、ちょっとくらい休んでも良いだろう」
↓
「今日も発想できる気分じゃない、多分今頑張ってもろくに進まない」
↓
繰り返し
こんな感じで今日に至る。
スランプにはまっていた。
この間、ニート同然であった。
(普段もそんな変わらない、、?)
飼い猫と同じくらい何もしてない
(人間のくせに)
休む時間と切り替えた方が良いのに
後ろめたい、惨めな気分を閉め出せなかった。
母はこんな状態でも認めてくれる。
大変な仕事をして養ってくれている父はどう思うのだろう。
自分がなんとかなるか、放り出されるか
どっちが早いだろうか。
環境にとても恵まれてるニート。
周りは整ってるのに、
自分の担う箇所がポツンと欠落している感じ。
言い逃れようもなく自分のせい。
ただ、こんなふうに自責モードに浸り続けたって
何にもならないことは知っている。
自責というのは、
架空の集団からの批判を先取りし自分に向ける
非生産的な保身。
無制限に受け入れるべきではないはずだ。
元気がなくなって行動力が落ちてしまう。
状況が悪化する。
ではどうするか?
やる気が出ない時期も、
成果につながらない時期も、
ここではないを感じる時も、
全て必要な要素なんだろう。
さっき風呂に入ってたらこの考えに落ち着いた。
多分このスタンスが良い。
これを人に納得させられるような根拠はうまく説明できない。
あるとしたら、こう考えた方が楽だからくらい。
いつだったか、
何を望んだのかも分からないけど、多分理想に近づくための道の途中にある
この経験無しに辿り着けないところも確実にある。
塞翁が馬って感じで、全て最善が起こってると信じとこう。
これに思いいたってからなぜか、
昨日よりは明日を思う感覚が明るくなったかも。
今日はお湯に浸かったのがとても気持ちよかった。
入る前はめんどくさいのに、
浴びた瞬間これを求めていた感がきた。
立ちくらみと倦怠感が消えた。湯の力すごい。
今日がいい日に書き換わった。