2026年・令和8年9月26日(土)例祭で出た『素戔嗚大神から発せられた柏原聖地に関する御神示における「鎮魂帰神」の”神”は、冥徳守護神を指す』という話。口からデマカセですね。

 

 理由は至極簡単です。

 開祖はそんなこと仰ってないからです。

 (冥徳)守護神の下付はたしか平成10年代の後半くらいから始まったわけですが、まだまだ開祖は本当にお元気だった頃です。当時も、また其の後も、私は『素戔嗚大神から発せられた柏原聖地に関する御神示における「鎮魂帰神」の”神”は、実は冥徳守護神を指すんだよ』なんていう開祖のお話は一切聞いた事も読んだ事もありません。

 ハイ、一言というか、一文で一件落着ですね。

 もし、その話が本当だと言い張るのなら、(冥徳)守護神の下付が始まって約20年経過しているのに其の事実が此れまで一切語られてこなかった理由を説明しなくてはなりません。が、出来ますか?

 出来ませんよね。今年の上品上生護摩供に合わせてヒネリ出した、口からデマカセなのですから。 

 

 開祖が公表された御神示自体を読み返してみても、「柏原は神界に通ずる聖地なのだ」とあるように、「鎮魂帰神」の”神”は、普通に、神界におわします素戔嗚大神を初めとする神神を指すとしか理解しようがありません。

 

 開祖が仰っていない事をあたかも仰ったかのように偽って、イイ加減な事を堂々と公表し、秒で矛盾点・問題点を指摘され嗤われる。いつもの宗務局のお家芸ですね。

 7月例祭でも「総本殿から仏陀の白銀のバイブレーションが放たれる」と開祖自身が御著書や御法話で仰ったかのような印象操作をした話を出して、批判・嘲笑を浴びていましたね。

 そもそもですが、「冥徳守護神」という名称を、私は、初めて聞いたのですけどね。最初は何の事か判らず「何、ソレ?」と思いながら聞いていたのですが、話の終盤になって、冥徳祭で拝受式が行われる「守護神」様の事だとやっと判りました。開祖が「守護神」という名称を決定されたのに、何時の間にか勝手に「冥徳守護神」などというふうに変更したらしいです。そして、その事を我々会員に対しては一切説明してない訳です。(もしかすると、最初から正式な名称は「冥徳守護神」で、不良会員の私がそれを知らないだけ、という可能性はあります。だとしても、宗務局が是迄「冥徳守護神」という呼び名を殆ど使っておらず、我々会員には全く耳慣れない名称であることは変わりありません。)

 あと、「開祖ダイイジンリキ」という言葉が出てきましたが、文脈からして多分「開祖大威神力」でしょう。コレ、何なのでしょうか?

 開祖は「第二の仏陀」なんですよね。何時「神」として祀られるようになったのでしょうか?そんな話聞いたこと有りませんが。

 阿含宗で開祖を「神」として祀るようになったというのなら、神号があるはずです。 例えばですが、徳川家康公の仏教式の戒名は「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士(あんこくいんでとくれんしゃすうよどうわだいこじ)」ですが、有名な日光東照宮で「神」として祀られる時の神号は「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」です。

 開祖の神号は何時何処で発表され、それはどういう名称なのでしょうか?見た事も聞いた事も無いですが。

 もし、「神」として祀られていないのなら、「大威神力」を発揮しようが無いのですがね。 

 もう、訳が判りません。今に始まったことではないですが。

 

 もしかするとですが、アッという間に『神として祀られていないのに「大威神力」はおかしいじゃないか?!』という教団内外からのツッコミが入って、慌てて開祖の神号をデッチあげ10月11日(日)の開祖涅槃会法要で発表という事になるかも知れませんね。でも、もう遅いですよ。「神」として祀られておらず神号も無い状態なのに「開祖大威神力」と言い放ってしまったのですからね。ご愁傷サマです。

 まあ、小泉太志命(こいずみたいしめい。開祖は“ふとしのみこと”と呼ばれてました)先生から、開祖は「貴方は素戔嗚尊の生まれ変わりだ」と言われてましたから、『開祖は生まれながらにして「神」。改めて神号をお授けし「神」として祀らなくても“大威神力”を発揮するのだ」とでも言い訳しますかね。

 仮にそうだとするなら、「開祖大威神力」と言い出す時か其の前に、ちゃんと我々会員に此の話をして誤解を招かないようにすべきですよね。ですが、そんな事はしてないわけですから、全然この件の問題点に気付いていなかったという事です。いつものように、前後の辻褄や左右との整合性を全く考えない浅薄な“思い付き”に過ぎないモノを良く考えもせずにパッと表に出してしまった。そういう事ですね。


 開祖涅槃会法要では「開祖御霊光・神力特別加持」というのがあるそうです。この前の5月例祭で「開祖眞身舎利から、開祖がインドのサヘートマヘートで受けられた仏陀の白銀のバイブレーションが放たれる」という是迄聞いた事の無い、そして、宗務局が以前から言い続けてきた「開祖眞身舎利から開祖の『御霊光』が放たれる」という話と矛盾するビックリ話が出ましたが、どうやら、スッカリ忘れていた「御霊光」話を思い出したようです。

 開祖眞身舎利分骨式が行われる開祖涅槃会法要で、「開祖御霊光・神力特別加持」というのを行うということは、5月例祭での「開祖眞身舎利から仏陀の白銀のバイブレーションが放たれる」という話がデタラメであったことを公に認めた事になりますね。


 本当に、宗務局には開祖や佛神に対する畏れというものが無いのですね。


 “今回の上品上生護摩供が此れまでに無かった新しい意義を持つ事となった理由は、10月11日(日)の開祖涅槃会で「開祖眞身舎利分骨式」が行われ開祖の功力が弥益すから”だそうです。分骨すると功力が弥益すのだそうです。

 「はー、そーですか」と苦笑するしかないですね(笑)。

 お釈迦様の本物の御遺骨「真正仏舎利」とか、開祖眞身舎利とか、何処かの「聖人」と呼ばれるような人が遺した聖物とかの功力が増すとしたら、それは多数の人々の信仰を集め沢山の供養を受けいっぱい拝まれた時でしょう。分けたり集めたりすると、功力が増したり減ったりするのですか?

 じゃあ、もしですが、分骨した開祖眞身舎利をまた一つに集めたら開祖の功力は減るのですか?増えるか減るかどっちかだ、というなら、寧ろ増えそうな気さえしますが。ここまで言えば、いかにオカシナ話か良く判るでしょう。

 各本部に分骨してより多くの人々に拝まれ供養を受けるようになれば、開祖の功力は弥増すでしょう。分骨式はそのきっかけにはなるわけです。でも、分骨や分骨式でそうなるわけではありません。 


 2026年・令和8年9月30日追記。 

追記開始ーーーーーーーー

 27日(日)も26日(土)と殆ど同じ話が繰り返されましたが、最後に「開祖涅槃会法要に於いて会員の皆様が厚い御供養を捧げる事によって開祖の功力が増す」旨の話が追加されてました。そうですよ。最初からそう言えば良いのです。もしかすると、26日(土)は話を端折ってしまって、結果オカシナ話になってしまったというだけなのかも知れません。

追記終了ーーーーーーーー



 

 将軍塚青龍殿さん・花山天文台さん・東山山荘さん、そして阿含宗で、「北花山を盛り上げる会」とか作って、先ずは京都市営バスとかの路線バスを走らせてもらうように運動したらどうかと思うのですが。

 ごく狭い範囲に本来ならもっと「集客力」が有ると思われる施設が四つも集まってるのに、実に勿体無いじゃないですか。

 

 京都には海外からも観光客が押し寄せて人で溢れているらしいですが、行事が無い時の総本殿は閑散(たぶん)としているそうなのは何故でしょうか?

 「インネンゲダツ?ジョーブツホー?何それ?」というような感じの一般の方々が、「アゴンシューって、何んか知らんけど、お釈迦様の本物の御遺骨『真正仏舎利』が祀られてるんですってよ」と、単なる物見遊山で沢山お山に押しかけてくれるようになり、裾野が大きく広がってこそ、初めて布教も出来るのでは?

 違いますか?


 「物見遊山」って、「ものみゆさん」と読むそうです。「ものみゆうざん・ものみゆうさん」ではないそうです。知らんかった(笑)。