今年の大仏祭では、たこ焼き等を出す模擬店も、子供たちを対象としたおもちゃ等の抽選会も、無いそうです。

 その事自体も問題ですが、その事をハッキリと明言しない宗務局の姿勢はもっと問題です。

 

 結局、3月例祭でも4月冥徳祭でも4月例祭でも5月朔日護摩でも、またチラシ等でも、宗務局から明示的には告知されないままでしたが、今年の京都大仏祭では、たこ焼き等を出す模擬店も、子供たちを対象としたおもちゃ等の抽選会も、無いそうです。

 たこ焼き等を売る模擬店が無いということは、午前から午後まで参加する参拝者の昼食はどうするつもりなのでしょうか?光和食品が飲み物やお弁当とかを売るのでしょうか?仮にそうだとして、参拝者の要望を満たす種類と数は用意されるのでしょうか?

 さすがに「アタシは大仏祭のたこ焼きが食べたかったのよ!何で模擬店が無いのよ?!」的な苦情を言う人は居ないでしょうけど、参拝者の休憩・お昼ごはんに関わる重要な情報を宗務局は何故ハッキリと告知しないのでしょうか?理由が判りません。

 その件以上に問題が有ると私が思うのは、子供たちを対象としたおもちゃ等の抽選会が無いという事、そしてその事実を宗務局がハッキリと明示的には告知していない事です。

 過去に大仏祭に来た事のある子供たちにとっては、大仏祭イコール抽選会と言って良いでしょう。子供たちにとってのメインイベントを、たぶん「お金かかるもんね」という理由で中止するというのは、私にはちょっと考えられないことです。「子供の日に大人も童心に帰って子供たちと一緒に遊び踊り楽しむ」というのが開祖が始められた京都大仏祭の趣旨です。大仏祭のメインのお客様は子供たちのはずです。彼らが多分一番楽しみにしていて一番喜んでくれて一番盛り上がる抽選会を中止するというのなら、もう潔く京都大仏祭それ自体を止めてしまった方がマシです。或いは、開祖が掲げた「京都大仏祭」という看板は下げ「京都大仏・聖菩提樹供養会」とでも名称を変え別行事として再編するかですね。

 しかも、その非常に重要な事実を会員さんに対してシッカリと明示的に告知しないというのはどういうことなのでしょうか?全く理由が判りません。 

 人間は物事を自分に都合良く解釈します。明示的に「無いよ」と言われない限りは、昨年まで有ったモノは今年も有ると勝手に思い込みます。

 私には、参拝者から「模擬店は無く光和が用意した飲み物やお弁当しかないのなら、お山に上がる前にコンビニ等で好きな飲み物・食べ物を買っておきたかった。何で事前にハッキリ知らせてくれなかったのですか?」と苦情を言われる現場の修行者さんや職員さんの様子が目に浮かびます。また、楽しみにしていた抽選会が無い事を知って酷く落胆したり泣き出したりする子供たちと、「無いなら無いと、どうしてハッキリと告知してくれなかったの?」と苦情を言う親御さんと、平謝りする現場の修行者さんや職員さんの姿が頭をよぎります。

 が、宗務局はそうではないようですね。仮にそんな状況を思い浮かべたとしても、彼らにとってはどうでも良い事なのかも知れません。

 今年の星まつりの時にも改めて思いましたが、結局、宗務局は目先のお金の出入りには大いに拘っていますが、来場してくれた参拝者や現場の修行者さんや職員さんの事にはまるで関心が無いのでしょう。

 江戸時代の殿様が、自らは何も考えず「ソチたちに任せたぞ。リンキオーヘン、良きにはからえ」とお茶をすする様子が目に浮かびます。

 宗務局の「諸悪の根源」を突き詰めると、結局、このへんに行き当たるような気がします。

 

 今年の第二部:お楽しみフェスティバルでは、元「ザ・ブルーハーツ」ドラマーの梶原徹也さんによるリズム遊びワークショップとミニコンサートがあるそうです。梶原さんには本当に失礼な話になってしまい悪いのですが、小学生以下の子供たちが「えっ?梶原徹也?あのブルーハーツの梶原さん?すげーッ!行きたいッ!」ってなりますか?そんな「昭和・平成のJ−POP大好き博士ちゃん」みたいな子供が沢山は居るはず無いです。

 私の想像でしかありませんが、もしかすると、長年の阿含宗会員だという梶原さんは梵行(ぼんぎょう。判りやすく言うと、積徳の為の仏神に対する無償の御奉仕)としてタダか其れに近い僅かなギャラで出てくださるという事なのではないでしょうか。またまた梶原さんに対して大変失礼な言い方になってしまい申し訳無いのですが、今回、梶原さんが呼ばれたのはそれも理由の一つなのではないでしょうか。

「大仏祭の一日は大人も童心に帰って子供たちと一緒に遊び踊り楽しむ」という本来の開祖の理念など打ち捨てて、とにかく1円でも支出を削り、この機会を捉えて大仏様胎内への納経祈願等で1円でも多くお金を集めようという、宗務局のオトナの御都合最優先の京都大仏祭なのですね。たぶん。

 開祖はさぞお嘆きの事でしょう。


 あ、大仏様胎内への納経祈願は、私も申し込ませて頂きました。これはこれで、魅力的な企画ですので(笑)。


 

 

 

 

 

 

 昭和60年(1985年)くらいに某地区の地区会で撮られた霊写真。 

 左端にご注目ください。
 お判り頂けただろうか?(笑)
 
 平成一桁の頃だったと思いますが、或る会員さんから頂きました。
 その方が観光で某地方を訪ねた際に当地の道場にお参りしたら、そこの壁に掲示されていたそうです。
 その地区の方に尋ねたら次のような話だったそうです。
 昭和60年(1985年)頃に地区会の記録写真を撮った時の一枚。宗務局を通じて開祖に「霊写真では?」とお伺いをたてたら「その通り」とのお墨付きを頂いた。だが提出したプリントはそのまま返却されネガの提供を求められることも無く、阿含宗報やダルマ・チャクラは勿論のこと、本部会報やその地区のお知らせですら扱われず。その地区道場に参拝する会員さんだけが存在を知る秘蔵写真との事。
 
 私にこの写真をくれた方は、どうしても欲しくなり周りの目を盗んで観光用に持って来ていたカメラでコッソリそのプリントを撮影したのだそうです。
 私が何処の地区か尋ねたら「その地区に迷惑がかかるかもしれないから言えない」とのことで、私もそれ以上は追求しませんでした。
 
 関係者には大変失礼な話ですが、フィルムカメラの時代で、ネガやプリントに手を加えればこういう写真を捏造することは出来るでしょう。またまた失礼ですが、そういう写真に開祖が安易に乗っかったという見方も可能ではあります。ですが、写真を提示する側から見たら、開祖から「何だ、コレは?こんなモノをでっち上げたのは誰だ!?」と言われる可能性は有ります。開祖側から見たら、捏造かもしれない写真に「霊写真だ」とお墨付きを与えたら、後で「桐山靖雄、インチキ写真に引っかかったぞ!」と言われるリスクがあります。
 双方に自信が有るわけですね。
 
 この写真を他の法友に見せたことは有りません。ウッカリ見せたら写真をくれた方に迷惑をかける可能性があるからです。
 でも、その方も既に亡くなりましたし、一地区で秘蔵しておくには惜しい写真だと思いますので、ここで公開させ頂きます。
「我が地区の門外不出の秘宝をネット上で公開しやがって!」というお怒りが目に浮かびますが、どうかお許しを。
 
 また、開祖もこういうものを会員さんに弘めることを特には望んでおられなかった御様子ですので、深くお詫び申し上げます。どうかお許しください。
 
 
 
 

 開祖は生前様々な事柄を打ち出し実行されましたが、重要な幾つかの事は十分には或いは全く実現されないまま遷化されました。「求聞持聡明法や超能力の指導をする」「求聞持堂を造る」「成仏法を教える」等です。〔サンフランシスコ大学への留学だの、個人での布教所開設だの、アニメ映画だの、ヒマラヤ総本山だのは些細なことです(笑)。〕

 阿含宗の布教の障害になっているのは、今は「開祖霊諭」とやらと過剰なブータン色が最大最悪なのですが、開祖御健在の時分から前述の事柄が十分に実現されていない、或いは実現される可能性が乏しいという事実が大きな問題となっていました。
 開祖の御著書を読んで道場に来られた一般の方から「求聞持堂は出来たんですか?」「求聞持聡明法や超能力の指導は受けられるのですか?」「成仏法を教えて貰えるのですか?」と尋ねられたら、会員さんも職員さんも黙って下を向くか、話を逸らすしかありません。
 それでも開祖御健在の頃は「以前は基礎的な御指導が有りましたが今の所は…、でも何れは」と誤魔化すことも出来ましたが、今となってはもうそれも出来ません。
 一番問題なのは、開祖が残されたそれらの点にについて阿含宗としての公式見解が無いということです。真面目な阿含宗会員さんや職員さんはそれらの質問に対し無責任に私的見解を答えるはずもありません。本当に黙ってしまうしかないのです。開祖が生前に教団内外に対して御著書その他で訴えて来た事柄に対して誰も何の説明も出来ない。沈黙するか話を逸らすしか出来ない。そんな有様で、誰が阿含宗という団体を信用してくれますか?これで布教など出来るはずが無いのです。
 「公式見解が無い」と書きましたが、実は無いわけではないです。確か開祖阿含宗葬の時だったと思いますが、深田法務管長がご挨拶で用意された原稿を読み上げるなかで“開祖は私達弟子に其の持てる全てのものを伝えて仏界に旅立たれました”という意味のことを仰ったのです。“開祖がやり残したことなど有りませんよ”ということでしょうね(笑)。 この挨拶原稿を誰が書いたか知りませんが、残念ながら、この一言で阿含宗を完全に見限り去っていった会員さんも結構いたように思われます。
 極一部の僧侶・職員については判りませんが、少なくとも私達普通の会員さんに対しては求聞持聡明法や超能力や成仏法の指導は十分には行われず、求聞持堂も造られなかったのです。そのことに対する教団内外への何らかの説明が必要なのです。本当は御健在のうちに開祖御自身からご説明頂くべきでした。
 阿含宗の法と教えの根幹は、開祖が「観音慈恵会」を創められた時と変わらず結局は“因縁解脱”です。つまり、人それぞれの運命上の悪条件を神仏のお力と自身の心解脱・供養・積徳の修行で解消するということに尽きます。求聞持聡明法だの超能力だのは開祖自身には必要だったのでしょうが、其れ等を身に着けられるほどの徳と能力の無い普通の会員にとっては、敢えて言うなら、付録に過ぎません。付録という言葉が言い過ぎなら、“高嶺の花”と言い替えても良いでしょう。ヤマハ音楽教室に通って鍵盤が血で染まる程練習しても、皆がピアニストになれるはずはありません。(昔の御著書ではまるで皆が“ピアニスト”になれるかのような言い方を開祖はされていましたが、常識で考えて無理でしょう。一人の名ピアニストを生むためには多数の無名の母集団が必要ですから先ずはそれを作ろうとし必死になり過ぎてつい“筆が滑った”ということだと思います。)
 ですが、それらの指導が出来ないことが問題なのではなく、出来ない事をちゃんと説明しないことが問題なのです。求聞持聡明法や超能力や求聞持堂の問題に口をつぐんで沈黙していることが、肝心の因縁解脱の法と教えを弘めることの障害になっているのです。
 一刻も早くこの状況を解消しなければ、阿含宗に未来はありません。
 
 ただ、その説明を「開祖霊諭」とやらでされたら最悪なんですが、でも「開祖霊諭」でなければ、「何で開祖自身が説明しないのですか?」と言われるでしょうね。もう、袋小路です(笑)。
 「開祖霊諭」と、開祖がやり残された事への説明問題を解決するには、特定のタイミングでほぼ同時にやるしかありません。特定のタイミングとは何時かということは、流石の不良会員の私でも口にするのは憚られますので、今は言えません。