松下幸之助「人生心得帳」にこんな一説があります。

たまたま会った友人に
「最近、なんとなくさみしくて、世の中を
悲観するような感じに襲われるんだよね、どうしてだろう」と


尋ねてみたら、すると


その友人即座に
「それは憂鬱病だよ!!」
といわれたそうです。

「じゃあ一体その原因はどこにあるの」って聞いたら、


一括で!

「それは簡単だよ!」

と、次のように言われたそうです。

「きみは喜びを知らないんだ!

もののありがたさを知らないんだ!

ぼくはそう思う。

今のきみの境遇は、ぼくから見れば
きわめて恵まれてる。

けれどもきみは、恵まれて結構な
ことだとは考えてないようだ。

そればかりかきみ自身が生きていくうえで、
欠かすことのできないもの、例えば空気、水
といったふんだんに与えられてるということさえも
ありがたいと感じてないと思う。

だから、そのようなさみしさに陥るんだ。
もし気づいて、ああ、ありがたいなぁと
いう気持ちになればこの世の中非常に
楽しくなるだろうし、また、
少しくらいのわずらわしいことが起こっても、
勇気凛凛ということになると思うけど。」

改めて、友人からそう言われて自分の境遇にも
ときおり結構なこという思いがあっても、
そう深くはありがたくは感じなかったようです。


実際、私たち人間は空気をはじめ水や太陽などの
大自然の限りない(今ではあるものかもしれない)
恵みを受けてるわけで。

また、親や兄弟、親せき、先輩、同僚など
周囲の人やモノ、さらにはご先祖様の遺産といった
もののおかげで日々を過ごさせていただけるわけです。

だから、そういうものに対して、感謝の気持ちを
持つことが人として当然なことであり、
忘れてはならないことだといってます。


僕自身もそうなんだけど、大半の人がごく普通の
生きてる(生かされてる)っていうことを、
当たり前だと思っていることに落とし穴が
あると痛感させられましたね。

あなたはどう感じたでしょうか⁈

なんでぼくがこんなことを書き始めたかというと、
前回にも書いたと思うんだけど、今、無職で
何もしてないっていえばうそになるんだけど、
仕事についてないから、今収入が
途絶えてる状況なんですよ。

何も収入が入ってこないもんだから、
支出ばかりで出ていく一方。

それでも食べていかないとまずいから
何とかやりくりしてるんだけど、それでも
出るものは出るから、支出は止まらないわけで。

そんなことを言っても始まらないってわけで、
かなり考えて生計も考えてるうちに、ものの
大切さ?!母がなくなる間際まで心配して
くれてたことなんかを浮かんできて、ああ、
これはいろんなことに感謝していかないと
いけないなあと思ったわけです。