その鏡は、即ち上文の賢木に懸けた八咫鏡である。
示奉は、美世麻都流(みせまつる)と訓むべし。
書紀顕宗巻・孝徳巻などに奉示(みせまつる)(神武神功仁徳などの巻にも、示の字を美須・みすと読んでいる)とある。
さてこの示の字は𦾔印本に爾と作き、延佳本には亦と作いている。みな誤りだ。今は一本に依っておく。
𦾔事紀に奉示とあるのも、この記の古本に示奉とあったのを取って、字を上下に入れ替えたものであろう。
さてこの御鏡を見せ奉ったので、日の神の御光が映り全く同じに照り輝くのを以て、汝命に勝る貴き神とは即ちこの御鏡を申す
のである。こうしたのは非常に浅はかな行為に似ているが、上代の意である。後世のなま賢しらき心を以て疑うべきではない。
さて、この御鏡は日像の鏡と申して、日の神の御像を模(うつ)し、またその御光が映った事を以て言うのだから汝命と等しい神
とこそ申すべきであり、益々貴き神と言うのは、甚だしく言いなした表現であるよ。
かの日蔭鬘(ひかげかづら)をしたのも、上にこの鬘を頭から垂らしたのは、日の光が眩しいのを差し隔てる料であると言ったこ
をここで思い合わせるべきだ。
鶏を鳴かせたのも皆この貴き神が坐して世を照らしたもう事、日の神と全く同じであることを示す為にしたのだ。纂疎の説など
は非が事である。
拾遺曰く、太玉命以廣厚稱詞啓白(ひろくあつきことばをもってもうさく)、吾之所捧寶鏡明麗恰如汝命(あがもたるかがみながみ
ことのことてりうるわし)、乞開戸而御覧焉(みとひらきてみそなはせとまうす)云々、書紀言う、於是日神方開磐戸而出焉是時
以鏡入其石窟者(ここにひのかみいわやとをひらきてこのときかがみをいわやにいれて)、触戸小瑕(とにふれてちいさききずつき
ぬ)、其瑕於今猶存(そのきずいまにあり)、此乃伊勢崇秘之大神也(これはいせにいつきまつるおおかみである)。
愈思奇而(いいよあやしとおもほして)とは、この御鏡が己の如くに照り明けくあるのを御覧(みそなわ)されて実に宇受賣が申した
如くに尊き神が坐(いま)すことよと、奇(あやし)み御思(おもほ)したのだ。上に、以爲怪(やしとおもほし)とあるのを受けていよよ
とは言うのだ。
稍(やや)は今の世に漸々に(ぜんぜん、少しづつ、次第に)と言うのと同じだ。
臨(のぞむ)は、字鏡に闚を宇加々不(うかがふ)又は乃曾无(のぞむ)とある如く、能曾久(のぞく)と同じである。
今思うに、能曾牟(のぞむ)と能曾久(のぞく)とは意が異なるようであるが、中務の歌集に、池にのぞきたる松に藤が懸かっている
と言い、源氏の椎が本の巻にも、池にのぞきたる廊に云々、などとある。これらは臨(のぞむ)を能曾久(のぞく)と言い、今は能曾伎
坐(のぞきます)を臨坐(のぞみます)とあるので、相通って本は同言である。
但し、ここは自戸出而(とよりいでて)とあれば、物の間などからのぞくのとは少し異なって、ただ事の情状を伺い見る意であ
る。
天の手力男神は、この天の字は𦾔印本にはない。下に二か所に出ているが共にこの字はないので、無いのも悪くはない。
師は、立の字の下にある之の字を天の誤りだと言われた。けれども之の字もあるのがよい。
取其御手(そのみてをとりて)、この取るの字を𦾔(ふる)く、多麻波理(たまはり)と訓む。
書紀には奉承と書いている。それをもそう読む。されども、この訓は後の世の語(ことば)つきであるから、やはり字のままに登
理弖(とりて)と訓むべし。
引出(ひきいだしまつ)る、書紀に引而奉出と書いている。又、一書には、天手力雄神待磐戸側(いわとのわきにまちて)即引開之者
(ひきあけしかば)云々、(拾遺にもこうある)とある。
ここでこの神のぎは顕れている。戸を引き開けるのには、もとよりの事、御手を取りて引き出だし奉るには、手力(たぢから)の
勝れたる神を充てるべきわざであろう。
延喜六年日本紀竟宴、阿刀春海歌に止己也美母多乃之支美與止奈利介留波安女多知加良乎多須介安利介利(とこやみもたのしきみ
およとなりけるはあめたちからをたすけありけり)