チェンラーイの風を聴け №28 | furutetsuchan の『タイ便り』

furutetsuchan の『タイ便り』

西暦2000年、インド行きのエアー・チケットを買うつもりで独りバンコックのドーン・ムアン国際空港に降り立ち、北タイで見事に沈没した典型的な元バックパッカーが、タイにまったく興味のない人にもちょっとだけタイという国を知ってもらいたくて送る、『タイ便り』

 ゲストハウスの部屋で目を覚ますとケイが床に座っていた。傍らに栓を抜いたビール瓶が一本置いてある。

「お腹空いたわ。」

 ケイが不機嫌そうに言った。

 午前1時半頃、ヤーム(夜警)を起こさないようにバイクを路地まで押し出して、ナイトバザールの裏手にあるタラート・シリコンに行った。

「オーンが、夜中に腹が減ったらここに来いって教えてくれたんだ。でも、日本人一人で来るのは危ないかもね。」

 運ばれて来たカーオ・パットを食べる。ケイは注文したものを食べようとせず、黙っている。私がファーイと話すと言ったので怒っているのだ。

「これ包んでくれる!」

 ケイが店のおばちゃんに言った。

「いくらなの?これとこれを頼んで……。」

 ケイがイラついて金を払う様子を見て、おばちゃんが可笑しそうに笑った。

 ゲストハウスに帰ってベッドに横になると、ケイは残った一本のビールの栓を抜いて床に座り込んだ。

 朝、目を覚ますとケイが隣で眠っていた。そして、ケイの持ち物がすべて消えていた。トイレに行って(シャンプーとボディーソープも消えている!)部屋に戻ると、ドアの傍にケイの旅行バッグが置いてあるのに気付いた。やれやれ。(私が眠っている間にヤームにバンコック行きのバスの時刻を聞き、バス会社に電話までしたらしい!)

 ドアをそっと開け、サンダルを履いて受付にコーヒーを飲みに言った。

「ハロー、ティー・ラック(愛しい人)。」

 そう言うとカウンターのリウが顔を上げた。

「私、あなたのことをホントに待ってたのよ。ホントよ。」

 以前誰かが言っていたように、リウは少し斜視になっている。

「キットゥン(恋しく思う)?」

「ええ。」

 リウが真顔で頷く。

「彼氏はどうしたの。」

「彼とは別れたわ。」

「えっ!何で今頃そんなこと言うんだよ。(ったく、もう!)」

「テツヤは恋人いるの?」

「いる訳ないじゃん。ペン・ソート(独身)だよ。」

 人の気配に気付いて振り返ると、ケイが入口に立ってこちらを見ていた。

 

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 気まずくなったので、ケイを誘って路地の奥にあるバーンブア・ゲストハウスに行ってみた。

「朝食?」

 庭にいたミャンマー人の女が聞いた。

「いや、挨拶。」

 ケイを待たせて受付の網戸を開けると、女性オーナーのティムがテーブルにいた。

「サワッディー・クラップ。」

「あらあ、どうしたの?」

「挨拶に来ました。」

 ティムはペンタブレットで何やらしているが、操作がうまくいかないようだ。

「ノンならいないわよ。結婚したのよ、彼女。」

 ノンとのことは、一度もブログに書いていない(と思う)。

「ブライアン(イギリス人の夫。)は亡くなって何年になりますか。」

 私が初めてチェンラーイに来た時、このバーンブア・ゲストハウスに長居した。飲み過ぎて体調を崩した私は、ある日ブライアンに「禁酒する。」と宣言した。「賭けるか?」とブライアンに聞かれ、「賭ける。」と答えた。その晩、暗い庭を横切って部屋に戻る途中、私は突然の灯りに驚いて立ち止まった。目を細めて光源の方を見ると、懐中電灯を手にしたブライアンが私の抱えたビール瓶の入った袋を照らしてニヤリとした。

「もう四年よ。」

「どうして亡くなったんですか。癌だったと言う人もいますが。」

「違うわよ、癌じゃないわ。」

「ヌァ・ンゴーク(腫瘍)ですか、サモーング(脳)の?」

「何って言ったの。理解できないわ。」

「ブレイン・トゥーモア。」

 タイ語が通じないので英語で言い直した。

「ハート・アタックで死んだのよ。」

 ケイが入って来て私の胸ポケットからタバコを持って行った。

「彼女と結婚したんです。」

「そう。出身は?」

「クルンテープ(バンコック)です。」

「へえ、クルンテープの女と。」

「それじゃあ、そろそろ帰ります。」

「ちょっと待ちなさいよ、すぐ終わるから。」

「彼女が待ってますから。」

「待ちなさいって!すぐ終わるからさ。」

「また来ますよ。」

 網戸を開けて外に出ようとした。

「アハハハハ、アカ(族の娘)が好きだったんじゃないの!」

 ティムが可笑しそうに後ろから叫んだ。